「多様性の統一」が選挙でうまくいかない理由

直近の選挙では、共産党が盛んに「多様性の統一」と言う言葉を用いていた。この言葉はおそらくUnity in diversityの訳語として想定している。Unity in diversityは、政治の文脈では、独立した集団を形成してもおかしくない様々な文化や個性を持った人たちが1つの社会、ないしは政治体制を作る、といった意味合いで用いられている。

共産党が今回この言葉を用いたのは、概ね「野党共闘」に対応して、様々な異論があってもまとまってが1つの政党に投票しましょうと言う呼びかけに近い形であった。

ASEAN(東南アジア諸国連合)の標語に、「ユニティー・イン・ダイバーシティー」というのがある。多様性の統一ということです。これが一番強いと思う。自公には多様性がない。こっちは多様性で行きましょう。多様性の統一、「ユニティー・イン・ダイバーシティー」で新しい政治をつくろうではありませんか。

多様性の統一で新しい政権を 2021年10月24日 しんぶん赤旗

統一 "Unity" は言葉の意味が強すぎる

Unity in diversityという言葉は、志位スピーチで直接参照されているASEANのそれ——インドネシアの"Bhinneka Tunggal Ika"などは、分裂危機を意識して使われている。歴史的にも現在でも、東ティモール、バンダアチェ、西パプアなど武力紛争(軍事鎮圧)を含む独立闘争や、スラウェシ島など暴力を伴う民族紛争に常に頭を悩ませている。

英語圏でこの言葉が一般化したのは、国内に英語圏とフランス語圏を抱えるカナダだそうだが1、英語圏とフランス語圏の対立はオクトーバー・クライシスなど血なまぐさいテロ事件が起きるほど対立が深刻であった。

以上の通り、Unityという語は「武力鎮圧してでも統一を守る」「統一されていることが優先」というような文脈で使われていることが多く、かなり強い語感を与える語である。選挙で組織固めに使う言葉なら分からなくはない選択だが、それだけに党員以外から「上からの強制、強権的に聞こえる」という意見が出るのは普通の感覚であろう。

強く聞こえないようにするという意味では、欧州連合のモットーである「多様性の中の連帯」 "In varietate concordia" あたりのほうが適切かもしれない。この言葉の近代的ルーツを探ると、イタリア統一運動の活動家エルネスト・モネータが"In Varietate Concordia"と"In Varietate Unitas"の両方で使ったのが最初だそうである。ここでは「統一」の部分に当たる言葉として、Unitas(統一、団結)とConcordia(調和、友好、連盟)が用いられているが、Unitasはそれこそ強制力を用いても一体であることを維持するというイメージがあるのに対して、Concordiaのほうはお互いにできる範囲で仲良くして共存していきましょう、という程度の緩い意味になる。

アイデンティティ・ポリティクスにおけるUnity in diversityとその困難さ

共産党が今回の選挙でこの言葉を選んだのは、最近のダイバーシティ重視の傾向に対応してのものだろう。ダイバーシティ重視は、近年欧米で隆盛したアイデンティティ・ポリティクス(弱者属性すなわち民族的少数派、LGBT、女性etc.を持つ人の権利を訴え、政治的に取りまとめていく運動)が強く主張してきたものであり、「多様性の統一」が注目されたのも、ほぼ同時期に共産党がアイデンティティ・ポリティクス寄りの表現規制論を党の公式の主張として打ち出したためであった2

アイデンティティ・ポリティクスはマイノリティ(本来少数派という意味だが、現在では弱者という意味が加わっている)であれば黒人でも女性でもイスラム移民でもなんでも取り込もうとし、それを主張する左派政党への投票を呼びかけることもする。だが、こういった選挙戦術としての「多様性の統一」は内部に地雷を抱えることが多い。アイデンティティ・ポリティクスの主導者は、マイノリティが起こす問題に目をつぶる傾向があり、この結果として異なる種類のマイノリティどうしの利害・コンフリクトを調整・解消することを苦手にしているためである(このブログでも何回かそのことを取り上げている345678)。

この問題の一番わかりやすい例がイスラム移民とLGBTの間の調停である。アイデンティティ・ポリティクスの世界ではイスラムもLGBTもマイノリティだが、イスラムでは同性愛は重罪であり、同性愛を死刑とするイスラム国家も多い(旧約聖書のソドム伝承からユダヤ教-キリスト教と引き継いだもので、禁欲主義を基盤に子作りに関係ない性愛を悪とし、イスラム教の聖典にも書かれている9)。「多様性の統一」に基づいて同性愛者とイスラム教徒を握手させようとしても、イスラム教徒のほうが承知しないだろう(もし押し付けても「弱者の信仰に対する侵害」と言われかねない)。

これは理屈上の揚げ足取りと言った問題を超えて、実際に選挙のレベルでも問題になる。直近のフランスの大統領選挙や議会選挙では、同性愛者の少なからずが極右政党の国民戦線の支持に回った。欧州の左右の対立の最前線がイスラム移民問題に移って以降、アンティティ・ポリティクス推進者はイスラム移民の女性の地位や同性愛問題に沈黙してしまい、それを好機と見た極右勢力が「この国に滞在する以上同性愛者の人権も尊重してもらわなければ困る」と人権派を標榜するようになった(これはオランダの反移民政党の自由党などでは顕著である)。極右は一般人の常識から受け入れられないのが通例だったが、移民問題からの玉突きで同性愛者や女性の権利で人権主義のポジションが取れるようになって以降、中道層や非イスラムのマイノリティに急速に受け入れられ、ポピュリズムの隆興と呼ばれるような状況を作る一因となった。

この見方は少なくとも、一部事実に裏付けされている。直観に反して、国民戦線は他のどの主要政党よりも党幹部に同性愛者が多い。例えば、マリーヌ・ル・ペン党首に最も近い顧問のフロリアン・ フィリポ氏のような人だ。

「フランスのゲイはなぜ極右政党に投票するのか」2017年4月24日 BBC

2010年代後半の、極右として始まった政党の隆興は「衆愚政治」「ポピュリズム」として非難されることが多いが、アイデンティティ・ポリティクスの結果左派が極端化し、空いた中道的人権主義ポジションを元極右が得た、ということの意味は小さくないというのが私見である。

「多様性の統一」の失敗による左派政党のマイノリティ票の喪失は、様々な国で様々な形で見られる。アメリカでは極右的過激発言を売り物にしたトランプが2回にわたって想像を上回る票を集めたが、落選した2回目では、国境の壁という反ラテン移民政策を公約にしながらラテンアメリカ移民の支持を大幅に伸ばしたことや、あるいはBlack lives matter運動が盛んに展開された直後にも関わらず黒人のトランプ支持が伸びたことが注目された。この原因については、キューバやベネズエラから難民として逃れてきた層が、カストロやチャベスに親和的な左派過激派(いわゆるシアトル自治区等)を嫌って民主党から共和党に鞍替えしたことや10、BLM運動での「警察解体」が治安の悪い地域に住む黒人層に不評だったことが指摘される11(1年たって警察強化を訴える市長の当選が増えるなどの事象も報告されている1213)。これらは、「左派的政策」のある側面が特定のマイノリティの利害とコンフリクトを起こした例と言える。

日本では欧米のようなコンフリクトは少ないが、例えば今回の選挙で「最大の争点」に据えられた(?)ジェンダー問題で言えば、「資生堂ショック」のように、女性向けの子育て支援策として始まった施策が結果的に既婚女性vs未婚女性の利害対立問題に発展してしまい終了してしまったような例があり14、政治が同じことをやろうとする場合にも注意が必要だろう。ジェンダー関連ではこのほかTERF問題は知らなければそれを完全に避けるのは難しく、女性の味方をしたつもりでTERF認定される、ないしはトランス擁護をしてTERFの女性に誹謗中傷を浴びるといったケースは、それこそ共産党の志位委員長のツイッターアカウントでも見られるようになってきた。

日本で(先に紹介した)アメリカのケースに似た例を探せば、アジア外交・安保問題になるだろう。日本の左派は伝統的に北朝鮮や中国に親和的だ(った)が、90年代には北朝鮮が最悪レベルの核開発・軍国主義・人権侵害国家であることが明らかになり、これを賞賛していた論者は「反核」「平和主義」「人権派」としての面目を失って、社会党の退潮の一因となった。今では中国がこれに近いポジションにある。中国の人権状況は、検閲や香港問題等誰の目にも明らかなものや、意識の高い欧米企業が懸念を示した新彊の収容所・強制労働問題15などもあり、ひどいというのが国際的な認識だろう16。これは中国に親しめば解決するという問題ではなく、むしろ中国に興味を持って接触を増やすほど、googleもLINEもtwitterも繋がらないなど17(回避手段があっても探さざるを得ないことを含め)否応なくネット検閲を身をもって知り、中国大使館や総領事館が公式に展開する戦狼外交(威圧的・好戦的プロパガンダ)に接触することになるので、リベラルな人権・平和の価値観から中国(共産党)とは(戦争はしたくないが)相いれないという実感になる。

最近の世論調査で若者ほど自民支持が多いことから「若者の右傾化」が議論されるが、意識調査等では若者ほどSDGsへの認知度や取り組みも多く18、若者の平和主義への支持率も米中に比べ遥かに高い19。彼らは普通に平和主義で人権主義であり、リベラル教育は浸透している——であるからこそ、前世紀の学生運動的な価値観のまま中国の人権状況に懸念を出せないでいると、若者に人権意識を疑われることになる。北朝鮮と中国の人権状況に対する甘さは、いまだに日本の左派のアキレス腱であり続けている20

ムスリムと交友があるなら食べ物のタブーなど意識するだろうし、その中で同性愛を肯定する態度を見せればシャレにならないことくらいは当然踏まえた上で話題にしないよう避けるだろう。ムスリム移民が増えればその機会も当然増える。中国は存在感を増しており、アメリカや韓国と並ぶメジャーな出国先となっているが、それゆえ検閲を受けた経験を持つ人数も多い。今の若者は国際化の帰結として「本物」の人権侵害にカジュアルに接触できる環境にあり、口先だけで多様性の統一と唱えてみたところで彼らの体験をを覆すことは難しい。彼らが現に体験した人権侵害に対して回答を示せない限り、進歩的発言の政治的影響力にはどうしても軛がつく。

私自身はムスリムと同性愛者が同じ社会に生きることは普通に可能だと思っているが、同じ政党を支持できるかという段になると話が別で、調整のハードルはただ同じ社会にいるだけより数段高いだろうと思っている。「私はマイノリティの味方だからマイノリティは全員私たちに投票する」などと考えるのは、さすがに思慮が足りないだろう。マイノリティの意見を拾い上げていくにしても、別の政党を支持しつつ議会で話し合う形でもできるはずである。

アイデンティティ・ポリティクスを揺籃したポストモダン思想

アイデンティティ・ポリティクスは「特定の属性に肩入れする」という特徴を持ち、個別の行為を対象として人格と切り分けてで議論することができず——というより個々人の人格ですらない、属性による判断の優先順位が高い。属性で人を判断するというのは、現代に生きる我々にとっては前時代的な差別のように見える。なぜ「進歩的」思想がこのような後退を起こしているのか——これにはポストモダン思想の影響力が大きいと言われている2122。ただし私自身はポストモダン思想にそんなに詳しいわけではないので、以下に書くものは大雑把な理解に過ぎないという前提で読み進めていただきたい。

「ポストモダン(近代後)思想」という言葉に含まれるモダン(近代)は、大まかに言えば啓蒙主義のことを指しており、理性、知識、客観性、科学、社会契約論、基本的人権といった一般に「良い」とされるもので、翻ってポストモダン思想はこれらの「良いこと」に対する懐疑論となる。わかりやすい所で言えば、客観性は大事といっても真の意味で客観的な言説を人間が出す事は難しい。偉い大学の先生が貧困の調査をしたとして、貧困者が体感的にわかっている事でも偉い教授様はそれを見逃して調査項目から落としてしまいがち——というようなことは考え得るし、実際現代の社会調査研究でもそれは問題になり得る。

アイデンティティ・ポリティクスではこの類の考えが先鋭化して使われるケースが多く、「金持ちは貧乏について語る言葉を持たない」「男は女について語れない」「白人は黒人について語れない」というように、マジョリティ(優位側≒加害者)はマイノリティを語ることができない、という形式で用いられる。例えば男性が女性の生理痛について実感をもって語ることは難しい、というあたりでは正しいだろうが、しかし一方で、女性の病気を治療する上で医師でもない一般女性と産婦人科医の男性のどちらのほうが確実かと言われれば、基本的には後者のほうであろう(女性のデリケートな部分を扱うので女性医師のほうが増えてきつつあるが)。このあたり程度問題の側面が大きいように思うが、アイデンティティ・ポリティクスでは先鋭化して「○○は××を語れない」式の言を過剰に振り回す。

そして、客観への懐疑論を過剰に振り回すと、何を言ったかという話の中身より誰が言ったかと言う発言者の属性に過剰に注目することになり、属性により信じるか否かを決めるという、偏見や差別の一種に堕す危険性も浮上してくる。アイデンティティ・ポリティクスでは「黒人(女、同性愛者、etc)なんだから民主党に投票しろ」「マイノリティが共和党に投票するのはおかしい、肉屋を支持する豚だ」と人間をカテゴライズし「人間である前に黒人」であるかのように政治運動をすることは多々見られる。古典的リベラリズムが「黒人(女、同性愛者、etc)である前に一人の人間であり、全ての人は平等・対等である」ことを根幹として考えるのとは対照的である。アイデンティティ・ポリティクスが反レイシズムを標榜していつつも、その実態が属性に基づく偏見をばら撒く「反対側からのレイシズム」に過ぎないと言うようなケースはむしろ多いと言ったほうがいいかもしれない。

ポストモダニズムが理性、知識、客観性、科学、社会契約論、基本的人権といった通常「良いこと」とされるものへの懐疑論なのだから、取扱注意なのは容易に想像されるところである。実際、アメリカ人類学会がこの手のアイデンティティ・ポリティクス活動家に「乗っ取られた」状態になった際、人類学を「科学」たらしめる方法制約が活動家の邪魔だとしてこれを外すという議決が騒動になったことがあったが2324、思想自体にそういう陥穽に落ちやすい欠点があることは認識する必要があるだろう。

ポストコロニアリズム理論という属性判断主義

イスラム移民関連で話が出てくるポストコロニアリズムも、ポストモダンすなわち反啓蒙主義の一環として説明するのが早い。ポストコロニアリズム思想のルーツはサイードの「オリエンタリズム」25であるが、この中で、近代的啓蒙的思想(その中に多くの人権概念を含む)が植民地支配の道具となったと批判している。すなわち、近代的で普遍的な法や人権の概念を持たない社会は遅れているから、「進んでいる」西洋列強が教師として土人を教育してやる、という形式で植民地支配が正当化されていたと言うものである。このあたりは中学高校レベルの社会科でも不平等条約や治外法権等で学んだ範囲であろう。

アイデンティティ・ポリティクスの世界では、サイードの主張が無批判に流用され、被抑圧者であるイスラムに対して西洋的価値観で口を出しはならないと言うことになってしまった。すなわち、イスラムでの女性の扱いがどれだけ抑圧的であろうとも、イスラム諸国で同性愛者が公開処刑されていようとも、それに対して啓蒙思想/人権主義を説くことは植民地主義的"教化"であるとして口をつぐむようになったわけである。

皮肉なことにポストコロニアル理論は、世界各地で人権や公共の問題に取り組む人々を、しばしば窮地に追いやる。なぜならポストコロニアルの理論家にとって、「普遍的人権」に訴えることは、西洋中心主義の押し付けでしかないため、ご法度である。例えばサウジアラビアのフェミニストやパキスタンの世俗的リベラル、ウガンダのLGBT権利活動家が、SNS上で英語のハッシュタグを使って女性やLGBTへの人権侵害への抗議に支援を呼びかけた事がある。しかしながらこのとき、応用的ポストモダン理論の研究者や、活動家からの反応はほとんど無かった。なぜならかれらは、「抑圧する西洋文明 / 抑圧される東洋文明[または南の世界]」という二項対立に忠実なため、誰をどうやって擁護するべきなのかわからなくなり、身動きが取れなくなったのである。

プラックローズ&リンゼイ 著『特権理論:ポリティカルコレクトネス、アイデンティティポリティクス、フェミニズムはいかなる理論的根拠に基づいているのか』 書評者による翻訳

ポストコロニアリズムの理論から、進歩的左派はイスラムの信仰に口を挟む事は難しく、同性愛者の側も進歩的左派がイスラムの同性愛者嫌悪から同性愛者を守ってくれる事は期待しづらくなっている。同性愛者からすると、進歩的左派より極右政党の方がまだ話し合いの余地があり信頼できると考える者もおり、その帰結が極右の同性愛者票の獲得である。

サイードの批判に対するまっとうな回答があるとすれば、「人権思想を広げるのは、言論の流通とそれの共鳴で行われるべきだったのであって、植民地支配のような権力と強制を伴う形で行われるべきではなかった」あたりが穏当なところであろう。ただ、「普通に交流していればそのうち人権の大事さは伝わるはずだ」という路線はアメリカの中国戦略として親ブッシュやクリントンの時期に採用されたが26、結果的にはそれは一方的期待に過ぎず実現しなかったというのが今の評価であり、能動的な関与なしでは結局難しいのかもしれない。

「法正義のポピュリズム化」としてのアイデンティティ・ポリティクス

これは私見ではあるが、アイデンティティ・ポリティクスとは、大衆が法曹からJustice(法正義)を自分たちの手に取り返すための反エリート・反インテリ主義、ポピュリズム活動の一種ではないかと思っている27

現代の法体系の中では、膨大な法知識をた蓄えあらゆる観点からの検討を行った上で判決を出さねばならない。そのため、法正義はそれを専門とするエリート/テクノクラートしか扱えない状況となっている。そのエリートたちが、加害者の権利と被害者の権利のように、対立する様々な事情を斟酌した結果として、詳しく聞けば妥当だが直感的な正義感に反するような判決を出す事は珍しい話ではない。だがこの過程を外側から見ると、エリート様が密室の中で正義に反する決定をしているようにも見えることがあるのもまた事実ではある。法曹不信的なアイデアに日本でも潜在的に支持があるのは、池袋の「上級国民」をめぐる言説でも推測できるところである。

アイデンティティ・ポリティクスは、既存システムによる法正義を信じない(あるいはもっとシンプルに複雑な専門的知識なしでも簡単に自分を「正義」の側に置きたい)人々が、正義と懲罰の決定権をエリートに預けず自力救済している姿とも言える。ただしそれは、深い事は考えずコンフリクトが発生することも厭わずに、行為者発言者の属性だけで善悪を判定し、まっとうな法執行が備える安全装置としての手続きを無視してキャンセルカルチャーという私刑で罰を与える、と言う構造になっている——と見立てれば、アイデンティティ・ポリティクスとは反エリート主義・ポピュリズムを土台とする法正義の人民裁判化、と言うような説明が成り立つのではないかと思っている。

裁判員制度などを考えれば、あるいは法を決定する議会の機能を考えれば、その動機自体は否定するものではない。しかしながら、素朴すぎる判断基準、私刑の執行、コンフリクトに巻き込まれたマイノリティの人権の侵害など、安易な実行の弊害は無視できないし、その結果マイノリティからの信頼を失って対立する政党に票も流しているようでは、正義の面でも選挙戦術の面でも批判されてしかるべきものである、というのが私の見方である。

終わりに

こういったリベラル批判を書くと、この著者は右翼だなんだという非難が寄せられるのはお約束だが、そんな下らない人格批判をしている暇があったら、欧米の同性愛者やエスニックマイノリティの間で左派に対する信頼を失われ極右ポピュリズム政党に鞍替えするケースが多発している、という現実に対しもうちょっと真剣に対処した方が良いと思う。

日本においてもかつて北朝鮮政策で似たようなことが発生して左派政党を壊滅させた実績が存在するし、今現在では中国がそれになる。中国旅行は近く学生でも気軽に行っているし28、ネットのおかげで文通の頻度も高くなった。それゆえ、中国政府のネット検閲や政府批判すれば怖い人が来るプレッシャーをわが身で経験した人の数も多い。そういう「本物」を体験した人にとっては、規制もされず政府批判も自由に言えるtwitterで「日本は言論操作独裁政府だ。中国と仲よくしよう」と叫ばれたところで半笑いで聞いてしまうだろう。今は昔と違うのだ——尖閣諸島の騒動の頃は声高に騒いでいるのはタカ派でありネット右翼と片付けても良かったかもしれないが、今は人権主義で平和主義の普通の若者が、中国共産党に検閲された実体験をカジュアルに得る時代であるということは意識しておいて損はない。左派は、護憲でいいしタカ派になる必要もないが、誰を信頼するかについて気を付けて発言せねば、選挙では勝てないだろう。

——まあ、もっとも日本ではアイデンティティ・ポリティクスはそれほど盛んではないし、今回の選挙結果を生んだ主要な要因はマニフェストという仕組みの欠陥が嫌われ自民の陳情システムが選ばれ続けていることだと思うが、野党共闘の政策提案が「左すぎる」と呼ばれる主要な原因はこれだと思われるので(この部分を不一致点として共通政策から離脱した国民民主は議席を増やした)、意識していただきたいところである29

(2021/11/04)


  1. Godbout, Adelard (April 1943), “Canada: Unity in Diversity”, Foreign Affairs 21 (3): 452–461, doi:10.2307/20029241, JSTOR 20029241 ↩︎

  2. 「「非実在児童ポルノ」めぐる日本共産党の政策紹介ページが議論呼ぶ 「誤った社会的観念を広める」 」2021年10月18日 ねとらぼ ↩︎

  3. 「差別反対、みんな同じ」「差別反対、みんな違う」——文化多元主義の影の部分 ↩︎

  4. 2010年代の世界政治の潮流:左右対立からグローバリズムvs反グローバリズムの時代へ ↩︎

  5. 世界市民指向と多文化共生指向の相克 ↩︎

  6. マイノリティ内マイノリティ:「ポリコレ帝国」の「抑圧的権力」 ↩︎

  7. 保護欲と糾弾欲の自己満足:オリエンタリズムをやらかすポストコロニアリズム ↩︎

  8. アイドル、なりたいですか?ミスコン、出たいですか? ↩︎

  9. 青柳かおる「イスラームにおける同性愛」 人文科学研究. 147号. 2020 ↩︎

  10. 2020年米大統領選挙感想戦:マイノリティのトランプ支持への転向について ↩︎

  11. ニューヨーク・タイムズを読めば、弱者のトランプ支持の話もアイデンティティ・ポリティクスの限界論も載ってるよ  ↩︎

  12. A Year After ‘Defund,’ Police Departments Get Their Money Back 2021/10/10 The New York Times ↩︎

  13. In a setback for Black Lives Matter, mayoral campaigns shift to ‘law and order’ 2021/10/30 The Washington Post ↩︎

  14. 慈悲的差別の罠:女性への思いやりは容易に構造的差別に転化する ↩︎

  15. ナイキとH&M、中国で怒り買う 新疆産綿花に懸念表明 2021年3月26日 BBC ↩︎

  16. バイデンが「中国封じ込め」に本気のわけ 2021年9月28日 newsweek ↩︎

  17. 中国で使えないLINE・Googleなどに代わるアプリはこれ!スマホを駆使して快適な旅を! 2020.01.09 HIS ↩︎

  18. 第4回「SDGsに関する生活者調査」 2021年4月26日 電通 ↩︎

  19. 村上登司文 中学生の平和意識についての比較-上海、ホノルル、デンバー、京都の4都市の中学生の意識調査から-. 広島平和科学. 31. pp.37-64. 2009. ↩︎

  20. 今の若い人は中国を「好戦的な強者」とするのが普通だが、リベラル派の中心を占める引退世代では中国は日本が戦争で荒らし発展が遅れた「弱者」だという感覚が残っていり、ずれがあるのも一因だろう。 ↩︎

  21. 書評:プラックローズ&リンゼイ 著『特権理論:ポリティカルコレクトネス、アイデンティティポリティクス、フェミニズムはいかなる理論的根拠に基づいているのか』(2020年) 2021-10-29 ↩︎

  22. 道徳的動物日記 ポストモダニズムとポリティカル・コレクトネス 2017-02-19 ↩︎

  23. 道徳的動物日記 「科学から政治的活動へと変貌させられる人類学」by グリン・カストレッド 2016-03-06 ↩︎

  24. 道徳的動物日記 「科学はお断り。私たちは人類学者だ」by アリス・ドレガー 2016-03-05 ↩︎

  25. W. Said, Edward (1978). Orientalism (Hardcover ed.). Pantheon Books. ↩︎

  26. 佐々木卓也 (2012). 20世紀アメリカの中国政策の展開とパワー・トランジッション. 平成23年度外務省国際問題調査研究・提言事業(編) 日米中関係の中長期的展望. pp.65-79. ~ 「クリントンは同時に、中国に自由をもたらす「最善の道は中国との関与を増やし、広めることである」と述べ、ブッシュ政権と同様の関与路線を正当化した。」 ↩︎

  27. 反エリート・反インテリ主義というのは、ホフスタッターのオリジナルの「反知性主義」のことを指しているわけだが、日本語では「反知性主義」は別の意味があるのであえて避けた。もっとも、ポストモダン的な反科学・反専門性の姿勢を考えると、日本語の別の意味のほうの「反知性主義」でもさほど問題ではない。 ↩︎

  28. 鄭玉姫 大学生の海外旅行実施に対する意向調査 ↩︎

  29. もっとも、これを取り下げたら市民連合のアイデンティティが失われるのではあろうが。 ↩︎