「差別反対、みんな同じ」「差別反対、みんな違う」——文化多元主義の影の部分

ツイッターで下記のようなツイートを見た。

人種差別、民族差別はされた者にしか分からないと思います。小学生時代をアメリカで過ごした私は差別されました。初めて奈良市役所に行った時「みんな同じ。差別はやめよう」というポスターがありました。違和感を覚えました。違うんです。みんな違うと認めるところから差別は無くなるんです。
赤松利市 @hZoImkE6gPbGnUs 午後1:27 · 2020年11月30日

私はこれを見てやや焦ってしまった。この標語は部落差別撤廃運動のためのものだからである。文化多元主義とは全くアスペクトが異なる。この差別においては、日本の人々は特定の地区等に住む人を指して「あいつらは《違う》やつらである」とし、就職差別や通婚拒否などの差別的扱いをした。その撤廃運動のスローガンが「みんな同じ」なのである。

「みんな同じ。差別はやめよう」の類の標語と、「みんな違って、みんないい」の類の標語は、容易に両立が可能である。みんな同じ人間で、みんなそれぞれ個性がある、程度に思っておけばよろしいだろう。両者は両立するものであって、「あのポスターは間違っている」等というべきものではない。

——だが、それだけでは解けない問題がある。アメリカ流の文化多元主義に影響を受けたなら、日本の部落差別解消運動と摩擦を起こすのは、理由あって必然であると思う。本稿では、そうなる理由——アメリカ流の文化多元主義の影の部分について触れていきたいと思う。

文化を継がせる権利 vs 子供の自主決定権

まず最初に、文化多元主義の影の部分を説明をする下地として、「文化を継がせる権利」の話から始める。

文化を継がせる権利は、ユネスコの「教育における差別を禁止する条約」などで認められているものである。もう少し具体的にすれば、自分の子に同じ宗教を教える権利や、(学習レベルが満たされる限りにおいて)自分の使用する言語と同じ言語で教育する権利である。特に、イスラム教の場合は子供へイスラムを教えることを親の義務としているので、場合によっては信教の自由とも関わる。

(b) 両親……自己の信念に一致した子弟の宗教教育及び道徳教育を確保する自由を尊重することが肝要であること。また、いかなる個人又は個人の集団も、自己の信念と両立しない宗教教育を受けることを強要されてはならないこと。
(c) ……少数民族の構成員が自己の教育活動(……)を行なう権利を認めることが肝要であること。
――教育における差別を禁止する条約 第5条 (仮訳)

一方、子供への宗教教育を、一種の洗脳であって子供の自主決定権の侵害と見る意見も少なくない。信教の自由とは大人になってから自主的に選ぶことをいうのであって、子供にそれを強制するものではない批判する意見も(少なくとも文化多元主義がここまで広がる以前は)多く見られた。例えば、リチャード・ドーキンスは虐待という言葉を使ってまで非難しているし1、ニコラス・ハンフリーも同様の意見である。

"Children, I'll argue, have a human right not to have their minds crippled by exposure to other people's bad ideas – no matter who these other people are." ——Nicolas Humphrey 2

文化を継がせる権利のうち特に宗教を継がせる権利については、アメリカでは福音派が子供に進化論教育を受けさせない権利として持ち出すことが「悪用」として話題になることが多いが、イスラムでも進化論は否定されていて(トルコなど国単位で進化論を否定している国もある3)イスラム教育をする上でこの権利がよく主張されるので、単に「悪用」と言ってしまうと難しいことになる。このように、文化を継がせる権利は、同時に子供の自主決定権と対立する。

文化的同化拒否 vs 子供への文化の強制

文化と教育の問題については、「個人の自由」を大前提とすると、子供を含む全ての人は、大人になって充分な判断力を持ったときに自主的にアイデンティティや文化を選択すればよい、ということが言える。またその大前提において、(文化多元主義に対する)同化政策は単なる「余計なお世話」であり、否定される。

だが、文化を子供に受け継がせるとなると話が変わってくる。既に説明した通り、文化を継がせる権利は子供の自主決定権と衝突し、批判もすでにある。

また、文化を受け継がせる権利を是としても、異文化通婚がまた小さくない問題を生む。異文化通婚による夫婦では両親とも子供に文化を継がせる権利を持つことになるが、この時、文化間で人数差があったときには、そのまま行けば両者は混ざり合い、やがて(数的)マジョリティであるほうが受け継がせる部分が多くなり、自然と同化と同じような結果に落ち着く。

この点に関しては、いろいろと議論がある。マジョリティから見ると「個人の自主決定権の尊重」というきれいごとを言っているだけで同化という結果が同時についてくることになるが、これをマイノリティから見ると文化を継がせる権利の侵害として映ることがある。マイノリティはこの自然同化に対して抵抗することがある。子供の自主決定権をある程度阻害して無理にでも継がせ、アイデンティティも大人になってから自主的に選ばせるよりは子供のうちから植え付けておき、文化の継承を仕込む。異文化通婚があると配偶者側の文化を上書きされる恐れがあるので、結婚相手選びに干渉して同文化の夫婦を揃えそれを避ける。この行動は特に教義上親が結婚相手を決めるムスリムでは極端で、移民後の子の配偶者として本国からの呼び寄せがかなりの比率を占めるほか4移民先の現地男性と恋愛した娘を家族が殺害する名誉殺人の例に事欠かない5

——ここに摩擦が発生するポイントがある。「文化を継がせる権利」の行使にこだわるマイノリティは、「違い」を重視してそれを世代を超えて維持しようとし、場合によっては結婚に干渉もする。「文化を継がせる権利」にこだわらないマイノリティは、「同じ」人間であることを重視し、結婚に干渉することに反対する。「差別反対、みんな違う」と言っていた人は前者の側面を持ち、「差別反対、みんな同じ」と言っていた人は後者となる。

アメリカにおける人種間通婚の偏り

アメリカではかつて人種間結婚は違法であることさえあった。法的にそれが完全に撤廃されたのは、戦後の1960年代の公民権運動のころである。しかし、公民権運動から半世紀以上たった現在でも、青い州を含めてそのほとんどが人種内結婚を選ぶという状況は変わっていない6。これは混血が半数に達するまでになったブラジルの状況とは対照的である7

White Wife Black Wife Asian Wife Other Wife
White Husband 97.9% 3.9% 15.3% 42.4%
Black Husband 0.8% 95.4% 1.1% 5.7%
Asian Husband 0.4% 0.2% 82.5% 2.4%
Other Husband 0.9% 0.4% 1.1% 49.4%
Total 100.0% 100.0% 100.0% 100.0%

アメリカにおける2010年の異人種婚姻の人種別割合6。割合は各人種の妻に対するその夫の人種の割合を示す。

人種間融合を拒否する姿勢の強いアメリカ市民——リベラルを含むアメリカ白人——にとって、文化を継がせる権利を主張するタイプの多文化共生思想は相性が良い。なぜならば、今現在も続く通婚拒否と居住地離別による「サラダボウル」の状況89を“同化政策に対するアンチテーゼ”として肯定してくれるからである。これは単に相性が良いというだけで、人種間融合拒否の姿勢がアメリカの文化多元主義を形作っているわけではないが、“共存”可能である、ということについて、少なくとも理屈上はそう言える。

通婚拒否を肯定してくれるアメリカ式の多文化共生主義が、通婚拒否を人権侵害として否定する部落差別撤廃運動と摩擦を起こし、「差別反対、みんな同じ」「差別反対、みんな違う」という反対のメッセージを引き出すのは、ある意味で当然のことと言える。

フランスとの比較

これと対照的に同化が根で多様性の許容が枝葉であるのがフランスである。フランスは近代的人権の尊重⊂ライシテを第一の国是とし、全ての人は人権宣言——つまり信教の自由などを守るという価値観に同化することを求める。このことは、以前の拙稿「世界市民指向と多文化共生指向の相克」でも説明した通りである(本稿は、この項目の続編としての位置づけで書かせてもらっている)。

ライシテは、「冒涜の自由」が議論になることが多い。マクロンがこの「冒涜の自由」を持ち出した時には10、「わざわざ他者の信仰を馬鹿にすることはないだろう」と反発する人が多数いた。しかしながら「冒涜の自由」は信教の自由、人権主義の根幹部分にある。日本では自身を無宗教と位置付ける人は少なくないと思うが、無神論の主張は神の否定として聞こえ信仰に対する冒涜と取る宗教者は少なくない。空飛ぶスパゲッティ・モンスター教などは反進化論をおちょくったものであり、言い逃れようのな意図的な冒涜である。「冒涜の自由は認められない」という主張は空飛ぶスパゲティモンスターへの否定に他ならず、親が子に「進化論は間違っている、創造説を信じなさい」と洗脳することを許容するという意味でもある。

フランスはライシテという名の(人権宣言への)同化主義であるゆえ、そのカウンターとなる極右ルペンは、同化を否定して「対等な民族同士の隔離的共存」主義を掲げ移民に対する拒否姿勢を自己正当化しようとした。なおこの主張はオランダの極右ウィルダースも同様である。彼女らが移民否定の極右だというのは多くの人が首肯することろだろうが、結果的に「居住地を分け通婚も避けて文化を混じらせない」となっている点では、アメリカ流のサラダボウル文化多元主義も事実上そうである。

フランス的な同化主義はその昔はアメリカにも存在した。差別のない世界では異文化の人々が通婚によってまじりあい均質化する様相、すなわち「人種のるつぼ」が「あるべき姿」として、今日でいうポリティカル・コレクトネスの地位に収まっていた。アメリカでそれが否定されるのは20世紀後半で、公民権運動を経て(50年たっても)居住地は分かれたままサラダボウルとなり、(ほとんど同じアメリカ文化に浸っているはず白人と黒人の間でさえ)人種間通婚は非常に少ない。そして思想的にはポストコロニアル理論と「文化を継がせる権利」を肯定する文化多元主義がポリティカル・コレクトネスの座について今に至っている。

一方で、シリア危機以降に難民を受け入れた欧州諸国では、アメリカ流の文化多元主義をベースに難民を受け入れたものの、裁判権が長老にある部族制度をそのまま移民先に持ち込むような文化と国内法制度の齟齬に耐えきれず、フランス流の同化政策に移行する風潮が報告されている11

文化多元主義の影の部分

文化多元主義は一見すると反民族主義だが、ここまで見てきたような「文化を継がせる権利」を含めようとすると、その実として《プチ民族主義》という性質がある——レイシズムにポリティカル・コレクトネスの化粧を施したものに過ぎず、通婚差別を続けたいマジョリティと《プチ民族主義》をやりたいマイノリティの一部が手を取り合って通婚差別を容認する運動である、という側面があることには、十分な留意が必要ではないかと考える。その一端が今回取り上げたような部落差別撤廃運動との小さな摩擦である。

アメリカの統計では、しばしば人種を択一で選択する場面がある。そのような選択を迫ることは、いわゆるハーフの子のように両属アイデンティティを持っている人には苦痛であり、ハラスメントであろう。私がこの主張をしているのも、日本国内にいるそういったminority-among-minoritiesから話を聞く機会があり、彼らの人権を擁護しなければならないと考えているゆえである。ポリティカル・コレクトネスを「常に正義の側に立っていられるバット」だと思われては困る、というのが私のアドヴォケイターとしての立場からの意見である。

初稿  (2020/12/01)

追記  (2020/12/08)


  1. Richard Dawkins. "Childhood, abuse and the escape from religion". The God Delusion. ↩︎

  2. Humphrey, Nicolas (1998). "What Shall We Tell the Children?". Social Research. 65: 777–805. ↩︎

  3. トルコの学校、消える「進化論」 反イスラムだから?世俗派は反発. 朝日新聞. 2017.7.24 ↩︎

  4. フランスの出生数回復の分解 ↩︎

  5. 内海夏子 「スウェーデンを悩ます「名誉殺人」とは何か」2009. Foresight. 新潮社 ↩︎

  6. "Table FG4. Married Couple Family Groups, by Presence of Own Children In Specific Age Groups, and Age, Earnings, Education, and Race and Hispanic Origin of Both Spouses: 2010 (thousands)". U. S. Census Bureau. (copied from Interracial marriage in the United States. Wikipedia) ↩︎ ↩︎

  7. Tabela 2094 - População residente por cor ou raça e religião». Consultado em 5 de março de 2014. (copied fromブラジル人. Wikipedia) ↩︎

  8. Revealed: The maps that show the racial breakdown of America’s biggest cities. Daily Mail. 2010.9.26 ↩︎

  9. アメリカの格差と分断の背景にある自治体内での福祉予算循環 ↩︎

  10. イスラム世界で怒り拡大 仏「冒涜の自由」が波紋. 時事通信. 2020.10.31 ↩︎

  11. 「みんなの文化を尊重」かえって溝広げた? 「多文化主義」問い直すヨーロッパ. 朝日新聞Globe. 2020.12.07 ↩︎