マイノリティ内マイノリティ:「ポリコレ帝国」の「抑圧的権力」

トランスジェンダーに関して、BBCであるニュースが報じられていた1。大まかに言えば、大学院の学生が、性転換手術を後悔しているケースがあるが実態が明らかでないので調査をしたいという内容を倫理委員会に提出したところ、「政治的に正しくない」可能性があるので却下されたというものである。倫理委員会の判断自体は例えば手法に問題があると指摘したなどの可能性があるのでこれ自体へのこれ以上の言明は避けるが、その前後の研究推進・反対をめぐる言説は興味深い。

一つは、トランスジェンダーの活動家の以下のような発言である。トランスジェンダーへの研究は性転換手術に対する「流れ」に影響するのでするべきではない、としている。

studies on transgender people could have a "political undercurrent" and potentially have a negative effect on the way they are treated. "People have been launching studies that undercut transgender people's access to surgery for decades now," she told Radio 4.

一方で研究を立ち上げようとした学生の側はこのように主張している。

"I found it very difficult to get people willing to talk openly about the experience of reversing surgery. "They said they felt too traumatised to talk about it, which made me think we really need to do the research even more."

まず、私個人としては学生の言い分は重きを置かれるように思われる。少なくとも性転換手術を後悔している人が苦しんでいて、その苦しみを騙ることに憚りがあって苦しみが取り除かれないというなら、憚りを取り除くようなケアが求められる、というのは穏当な主張だろう。

問題はその憚りがどのように生じているかである。それが個人的なトラウマに起因するものであるというのなら、セラピストや精神科医などが慎重に取り扱うということになるだろう。しかし――倫理委員会に判断に賛同しているトランスジェンダー活動家のように、性転換に満足している人がポリコレを武器に後悔している人の口を塞いでいるのではないか――という疑いが生じる。

性転換手術を後悔している人はトランスジェンダーの中でも少数派である。そして「マイノリティ内の多数派」のような活動家も持たず、オープンに語ることもできないまま政治的影響力のあるマイノリティ内多数派の活動家によって発言を抑えられているならば、そこには「マイノリティ内多数派」による抑圧、権力勾配が生じていることになる。これは社会学的・ポストコロニアリズム的にも「マイノリティ」と呼んで差支えなかろう。

任意のスケールのマイノリティに「権力勾配で脅かされているので補完するための対抗権力を付与する」(典型的に言えば反マイノリティ的言説を封じるパワーを与える)行為は、その権力はマジョリティに向くのみならず、マイノリティ内マイノリティに向いて抑圧を強め、個人の尊厳を損なって本末転倒が生じている可能性にも注意しなければならないだろう。

既知の問題

こういった問題は言語学等で昔からよく知られるところである。国の中で法律・行政に用いる言語として採用された「標準語」以外の少数言語は消滅しやすくなることはよく知られている。異なる言語と認められない程度の方言は特にその影響を受けやすいのは日本の地方在住の方の多くが感じられていることだろう。こういった「標準語化」の影響は消滅しそうな言語の保護運動でも同じであり、保護しようと少数言語の「標準語」が作られると、少数言語の中の方言は比較的速やかに消滅してしまう。マイノリティ内マジョリティに標準のお墨付きを与えると、マイノリティ内マイノリティに対する抑圧は特に影響が大きいものとなる。

また20世紀には「民族による国の区分け」が積極的に行われたが、それもマイノリティ内マイノリティ問題をいくつか起こしている。ナゴルノ・カラバフなどはその例ということができ養子、冷戦後にもいくつか噴出している。例えばビルマは宗主国イギリスから抑圧され、独立後はアウンサンスーチーが軍事政権から抑圧される「マイノリティ」だったが、アウンサンスーチーの勢力が政権の座についてからロヒンギャという別のマイノリティ問題が噴出している。アウンサンスーチーはノーベル平和賞を受賞するなど左派勢力からも積極的にエンパワーされた存在であるだけに問題解決の腰が重くなっている。クルド人は国を持たないマイノリティとして最大人口を持つことで有名だが、クルド人をエンパワーしたとすると同地域に雑居しつつ宗教などが異なるアッシリア人(古代アッシリア人との関係は定かではない東方典礼系キリスト教徒)の迫害につながることは想像に難くない。

結びに

「社会学がそんなことを考えていないはずがない」私も社会学の専門家ではないとはいえそう信じている。しかし、現実に倫理委員会で差し止められ、SNSで炎上させようとする勢力がいる(と思われている)というのは確かだろう。SNS上のSocial Justice Warriorsがそこまで自覚的だとは限らないということである。彼らは自らが権力となってマイノリティの中のマイノリティの抑圧に与していないかどうか、もう少し自覚的である必要があるように思う。もしそれができないなら、私は「ポリコレ帝国」の「抑圧的権力」を糾弾する側に回らざるを得ないだろう。

(2017/10/10)