日本型雇用を誰が殺したのか(その2)
大きな格差が残った「公務員」と「テレビ業界」
要約:民間企業が年功序列の逆流による人件費過剰問題に対処する一方、直近の収益を求められない公務員と慣習的寡占状態にあるテレビ業界では対処が遅れた。このため、両業界では民間一般に比べ賃金水準が著しく上昇する一方、賃金体系の年齢差別、サービスの削減や下請けからの搾取という形で高い賃金を補填している状態が続いている。
公務員、とくに地方公務員の所得は民間に比べ平均年収が200万円高く、上場企業正社員と比較しても100万円以上高い1。この点は批判されることが多く、実際選挙でそれを訴えて当選した人は少なくない。地方公務員の所得が民間の傾向から乖離して著しく上昇を始めるのが1992年ころである2。ちょうどバブルの崩壊と重なっていたため「不況のせい」と言われることもあったが、別記する実態を鑑みる限りは、バブル以前も民間給与の平均と同程度の水準を保っており、団塊の世代が40歳を超えて年功序列が逆流して人件費過大となる現象であると見るべきである。
実際に団塊の世代に対する年功的賃金補填が行われていたことを端的に示す例は、川崎市の「困難課長」の例である3。この制度は同僚の多い団塊の世代に名義上の昇進をさせるもので、それに応じた加給も存在する。この制度が始まったのは1987年であり、団塊の救済策として設置されたと明言されている。団塊の世代が昇進まで含めて年功的加給を受けた結果人件費過大状態となった川崎市は、団塊以下の世代を踏み台にしつつ、行財政改革に踏み切らざるを得なくなる結果となった。
公務員の年齢構成が高齢側に偏っていることは統計からも確認できる。47都道府県一般行政職の平均は43.3歳であり、上場企業3907社平均の38.5歳に比べ5歳高い1。民間では過大な人件費に耐えられず整理解雇と早期退職を促したのに対し、地方公務員はそうではなかったからと考えられる。また、平均年収で地方公務員744万円と上場企業628万円の差116万円のうち、63%がに当たる74万円は全職種における40代前半と30代後半のの平均賃金の差額で説明可能である4。残りが給与体系の差であると見ることができる。公立が多数を占める小学校教員の場合、50代以上が1/3、45歳以上で52%を占め、平均年齢も年々上がっており、前述の状況を追認できる5。
このような状況で財政に負担がかかると指摘されたことから、公務員も民間と同じく非正規職員を大量に使っている。たとえば北海道の自治体では非正規職員は全体の3割にもなる6。自治労北海道本部の大出彰良組織部長は「自治体財政が悪化したこの10年で特に増えた」としているが、その財政悪化の主たる原因は正規職員の人件費過大であって、非正規の大量利用や外部への委託を通じてコスト圧縮を押し付け人件費率を一定にする一方、同時に人口の第二ピークである30歳前後の正規採用が抑制されていることが分かる7。
正規公務員の平均賃金・平均年齢の上昇、地方公共団体の人件費率の一定化、新卒採用の抑制と非正規・委託の増加という3つの現象を矛盾なく理解すれば、これは民間よりも激しく*高齢公務員が若手を非正規や外部委託という形で外部コスト化したという構造が分かる。なお、公務員の人件費増大が財政悪化の主原因であるとかコストパフォーマンスが悪いといった指摘は正しいとは言えない。上記の“努力”もあり人件費総額は一定に抑え込まれており、諸外国と比べても総額は少ない(諸外国の場合は公務員が雇用対策を兼ねているという理由もあるが)し、効率を計るのはパフォーマンスを金額化できないためにちょっと難しい。また、財政支出増大の最大の原因は社会保障支出の増大である。
また、国家公務員の場合は事情が異なり、基本的に上位のポストへの出世が遅れた場合には転職、すなわち天下りが促されるという構造がある。前述の通り、同年代が増えると出世できないひとが急速に増えるという現象が起きるが、天下りが急激に目立つようになったのも、人口最多層の団塊の世代で出世できずに転職する人が急激に増えたため、ということができる。
公務員と似た傾向を示すのがテレビ業界である。テレビメディアは近年の広告費減少などもあって市場全体が縮小しているが、人件費の削減を行うのは非常に難しい問題であり、結果として下請けや新人に対する搾取でこれを補うことになる。年収200万円未満のワーキングプアが多数いるとされる8。一方で本体の社員の平均年収は1000万円超とされ、平均年齢の差を考慮しても年収格差は5倍にも上る9。
下請けに対する負担移転が行われる一方で、世代間の負担移転も起きている。TBSは賃金体系変更の結果、既存の社員の賃金は維持される一方で、新入社員は7~8割の賃金水準となる見込みである10 11。これは川崎市の例と同じような典型的な世代別賃金格差であろう。また、他の企業と比べても手厚い企業年金を持っていることにも注目したい。TBSの労組やOBを見る限りは、世代別の賃金を均準化した上で総賃金の増大を計ると言った考えはなく、減少分は若手に押し付けるつもりのように見えるが、気のせいだろうか?
下請けに対する圧迫が行われる中で、下っ端であるADの離職率の高さも指摘されている12。しかもそのADは、離職率が高いために不足し、制作会社間で派遣が行われるほどである。世代のせいとする意見もあるようだが、同世代の製造業派遣労働者よりもよほど離職率が高いというのは、どういった賃金・労働環境であるかは想像に難くないだろう。テレビ局は格差の現場に取材に行かなくてもいいのである。格差の原因も、結果も、その最も極端な例が足下にあるのだから。
成長期の終わりがもたらした「リスクの押し付け合い」
要約:高度成長期には常に市場が拡大し続けたため、雇用過剰や赤字リスクについて考える必要がなかったが、ゼロ成長時代にはそのリスクが企業や労働者に振りかかるようになった。新興国の工業化で脱工業化が促進されたことで、この問題はさらに加速されることとなった。このリスクについて雇う側と雇われる側での押し付け合いが続いており、現在は非正規に集中する状況が続いている。
高度成長が終わり、企業がおかれている環境は大きく変わった。それは、マイナス成長とデフレが存在しうることである。同じ不景気であっても、成長率が鈍化することとマイナス成長することは全く意味が異なる。単なる成長率の鈍化であれば新規採用数の調整だけでことは済むが、マイナス成長になった場合には企業内に十分な内部留保がなければ解雇か賃下げかの選択を迫られることになる。
まず考えるべきは、高度成長期においては、不況であっても成長率が鈍化するだけであって成長自体しているという点である。労働人口の増大も影響しているとはいえ、基本的には成長率がプラスである限り生産は増大しており、不況であっても採用を調整することはあれ、人減らしする必要はないのである。しかし、1997年以降、実際に生産の減少が始まるに至って、総人件費の削減を迫られるに至った。これがリストラの始まりであり、2000年前後はリストラや失業率の増大こそが対処すべき問題であった。それが非正規問題の下地になるのである。
キャッシュフローの問題で見ても、不動産は年率5%以上で伸びており13、大したことはしなくても日本全体で毎年30兆~100兆円程度のキャピタルゲインがあったため14、貸し渋りもなく比較的容易に資金調達が可能であった。近年は土地のキャピタルロスが毎年30兆~100兆円程度発生する状況であり、貸し渋り問題の原因の一つとなっている15。これらのキャピタルゲインは通常はインフレ率や利率と相殺する関係にあるが、近年のデフレの環境下では状況が異なる。マイナス金利で貸すことはありえないからである(下方硬直性)。すなわち、土地価格の変動を相殺するはずの金利変動が働かないため、その下落の影響がキャピタルロスとして露骨にキャッシュフローに反映されるのである。これがデフレがインフレよりも厄介と言われる所以でもある。土地などのキャピタルロスが原因となった貸し渋りのため、企業は資金が必要なときのために借金よりも貯金を選ぶという選好を見せている(それが内部留保への選好でもある)16。
上述の下方硬直性は賃金にも存在する。インフレ時には賃上げの額を調整し、インフレ率より低い賃金の上昇であれば実質賃下げも可能になる。一方で、デフレ時にはそういった機能は働かず、賃金維持でさえ強制的に賃上げとなる。このためデフレ時には、安定して営業している企業であっても、賃金据え置きによる人件費率の上昇から、人員削減を推し進めざるを得なくなるという状況に陥る。
「不況になれば多くの人が減収になる、そのリスクを回避するために貯蓄の割合が多くなり需要減につながっている」というような意見もある。裏を返して、企業から見てみるとどうなるか。不況で赤字リスクが生じる可能性があるのなら、最初から人雇う量を減らし、リスク回避に見合った低賃金に抑え、流動性資産をなるべく留保しておきたいということになるだろう。「不安な時代の庶民の防衛策」と同じことを企業が行うと「社会的責任を果たしてない」とか「がめつい」と言われることになるのである。換言すれば、高度成長期にはあまり考えなくてよかった赤字リスクについて、雇う側と雇われる側での押し付け合いが続いているのが現状なのである。
いったんここまでのまとめをしよう。インフレ(およびその元となる高度成長)があるとないとでは、以下のことが異なる。 - 成長中は採用数の調整だけで済むので解雇・賃下げバッファは不要だが、マイナス成長するとそれが必要になる - インフレ中の賃金改定は賃上げ額の調整で済むが、デフレ中は賃金維持でさえ賃上げと同義であり、調整が不可能になる。 - 企業も労働者(=消費者)どちらも、顕在化したリスクをヘッジするために、内部留保(貯金)を確保しておくことを好む。
経営リスクは現に顕在化してそこにあるのであり、なくせといっておいそれとなくなるような代物ではない。例えば、韓国の「非正規職保護法」のケースの場合、労働基準の下限を上げたことで、新基準において雇用が生まれうる儲け以下の職に就いていた人たちは解雇されるという騒乱が起きた17。基本となる雇用水準は大まかには景気や産業構造の推移以外の要素では動かない。雇用水準の変化なく雇用法制だけ変えても、単に分割方法が変わるだけで、賃金の総量はゼロサムゲーム的に誰かから誰かに移るものでしかないのである。また、賃金の移動は、基本的には労働市場で競合する近い立場の人の間から起こり始めるのである。
以上のような事情から、リスクを労働者に押し付けるな、というのも単純に過ぎる議論である。現代経済の常識として、リスク回避権は引受者から買うものとしてしか成立しないからである。賃金が業績と完全比例するモデルと、賃金が固定のモデルを比べてみよう。賃金が固定のモデルでは労働者が企業に業績リスクを押し付けることになるが、企業は赤字リスク回避のために内部留保を積み立てる必要があり、おそらく固定モデルのほうが生涯賃金は低くなる。つまり労働者はリスク回避権を企業から買っているのに等しい。賃金を固定して内部留保も禁止した場合にはどうなるか。企業は、倒産リスクに丸裸でさらされることになる。ちょっとした躓きで、企業と従業員がもろとも頓死する可能性が非常に高くなるのである。
成長期の終わりによって赤字リスクが生じたことは、現象であって誰かの強欲によって生まれたものではない。そして、そのリスクは姿を変え形を変えかならずあなたの元へ現れる。逃れることはできないのである。ならば、そのリスクが社会的不利益を生まない場所で吹き出すように、よく考えた上で調整弁を設置すべきではないだろうか。
現在は、そのリスクは派遣労働者に集中している形になっている。一般的には経営者の強欲のためとみなす人が多いようだが、実はめぐりめぐって正社員にリスクを押し付けないための配慮であるというのも事実であり、それは労組も認めるところとなった。では、リスクの吹き出し口としてどのようなものがあるか、主なものを例示する。
- 賃金の非固定部分の割合の増大。いわゆるボーナスは企業の収益に応じた変動賃金であり、1993年以降基本給よりボーナスが急激に削減されているのは総人件費一定化の試みの最たるものだろう。そこで、基本給を最低限の生活レベルまで落とし、生産額の変動をそのままボーナスに反映したり、レイオフを認めて基本給の変動を可能にすることで、リスクが労働者にバッファリングされる。
- 有期雇用の利用。最初から調整用の人員を雇っておくこと。これは昔から存在する(後述)。現在は無期雇用が「正規」雇用であり、有期労働者はその存在自体がイレギュラーとみなす傾向がある。その表れの一つが、有期労働者やパートタイマーの社会保障の手薄さである。有期雇用を「正規の雇用」として認め、リスク引受者たるにふさわしいリターンを分配することを労働三法レベルで明記し、待遇を改善することが考えられる。
- 残業18。業績の変動分を、メンバーを換えずにメンバーの労働時間と賃金(残業代)を変動させることで吸収する方法。労働者にリスクがつけられつつも、安定した雇用を実現する効果もある。サービス残業は、前述の高齢化による人件費増大に対して単純に人件費を圧縮する手口として行われてきたものだが、固定費を抑えつつ労働需要に柔軟に対応する方策として、つまりリスク回避手段として行われてきた側面もある。
- 内部留保の積み立て。単純に赤字になったときのために貯金ないし再投資しておく方法である。
- 金融市場からの調達。内部留保と同様だが、貯金を使わず借金を使う方法。この方法については拙稿[失われた10年への対策)(2008/06/28版)にいくつか例示した。
- 海外逃避。労働規制の甘い国へ進出したり、労賃の安い国へ逃避する方法。[ 法人税率を下げて企業を積極的に誘致した国|小ネタ)などについても参考になるだろう。
- 下請け圧迫。企業も労働者もリスクを負わない方法として、断れない取引先にリスクを押し付けるという方法がある。一般的に「下請けいじめ」という名で呼ばれてきたものである。
- (赤字になれば)解雇。企業が努力を限界まで行ったが赤字になった場合、正社員の解雇が認められる。1997年代の早期退職の促進やリストラに伴う解雇が代表的である。また、その「努力」のうちには、非正規社員の解雇も含まれることに要注意である。現在の法律では、正社員の賃下げや解雇を行うには、非正規社員の解雇を行う努力義務が課せられている。
- (それもダメなら)倒産。これが最終的なリスクの行き先である。
「昔は非正規労働者などいなかった」というような話もあるが、昔は昔でリスクのはけ口となる有期労働者が存在していたことにも注意したい。たとえば有期労働者の重要な供給源である第一種兼業農家(農家+出稼ぎ)は、1970年頃までは200万戸ほどあったが、その後急減して現在は50万戸を割っている19。第一種兼業農家の場合、農業収入がセーフティネットとなっており、その上の収入を不定期労働で補うというモデルで捉えることができる。第一種兼業農家が消滅した理由については、拙稿[なぜ減反を続けているのか)を参照いただきたい。
(2009/10/31)
-
大阪大学本間正明研究会,河合利明,佐々木儀広,濱本太郎,吉野功一 「地方歳出の見直しによる財政再建」 ↩︎
-
北海道新聞 2009/06/08 http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/170178.html ↩︎
-
城繁幸 29歳の働く君へ マスコミ業界は「格差社会」の典型だ ↩︎
-
内外タイムス 肥留間正明の芸能斜め斬り 自殺者まで出たテレビ局下請け残酷物語 ↩︎
-
産經新聞 過酷な労働…辞めるAD 番組制作に支障も 2009.6.23 ↩︎
-
財)日本不動産研究所「市街地価格指数」による http://realestate.yahoo.co.jp/docs/myhomeguide/01_65_01l.html ↩︎
-
経済企画庁 年次経済報告 http://wp.cao.go.jp/zenbun/keizai/wp-je89/wp-je89bun-4-1-5z.html ↩︎
-
国土交通省 http://www2.tochi.mlit.go.jp/cgi-bin/ssearch/ssearch?MD=5&BN=%C5%DA%C3%CF%C7%F2%BD%F1&FN=tc02%2Ftc02.sgm&ZI=fb1.1.1.2"))}} ↩︎
-
土地担保に依存した銀行が地価低下で貸し渋りをするようになり、企業の安定した操業が危ぶまれるようになった結果、銀行以外の資金調達先を創出する法整備として、金融ビッグバンとその延長線上の金融改革が行われた。銀行以外とは、他の金融業種、新銀行(ソニー銀やセブン銀などがそれ)、外資、株式市場、郵便貯金などが計画された。 ↩︎
-
向山英彦 韓国の「非正規職保護法」が7月より施行 アジア・マンスリー 2007年09月号 日本総研 「非正規職保護法」で検索すると韓国メディアのセンセーショナルな報道が見られるだろう ↩︎
-
これは最近のイギリスにも似た例ができた。 産経新聞 英BA、7000人が減給容認 自主応募、無給労働も ↩︎
-
農業センサス累年統計書 参考 図録▽農家数・専兼別主副業別農家数の長期推移 ↩︎