日本型雇用を誰が殺したのか


この原稿は2008年頃に掲示板に書き込んだものが元となっていますが、人件費率上昇の原因以外の部分について、2007年には八代尚宏「日本の労働市場改革を急げ!」というかなり近い趣旨の発表があります。そのほか、この原稿と似た主張をしているものには、主に以下の文献があります。

また、この議題は2008年夏ごろに掲示板で広まったものですが、その公的回答とも言えるレポートが2009年2月の参議院の調査、2014年12月の日銀ワーキングペーパーにあります。


 日本の労働環境悪化の原因を「日本型雇用慣行の崩壊」に求める人は多い。しかし、その原因を突き詰めると、実は「日本型雇用慣行」自体がある条件を満たすと労働環境を著しく悪化させる特性を持っていることが分かる。本稿では、「日本型雇用慣行」がいかに自壊し、労働環境を悪化させ格差を拡大させる装置へと変貌したかを明らかにし、合わせてその対応策をいくつか例示する。

「富裕層」は儲けているのか

要約:格差拡大の原因として富裕層優遇が唱えられることがあるが、富裕層の所得独占率は変わらず、額自体は下がっている。また、企業が強欲であるといわれることもあるが、企業の労働分配率は高度成長期~バブルの絶頂期レベルに過ぎない。しかし格差や所得水準は高度成長期より悪化しているように見えるし、一部は事実である。労働分配率だけで見れば富裕層も企業も雇用者を高度成長期並みに扱っているにも関わらず、労働環境は悪化している。

 労働環境が悪化したのは「企業が庶民から搾取している」からだとか「金持ち優遇により配当益に回されている」からだとする意見はよくある。その点を、企業が生産した価値を給料として支払っている比率である労働分配率のデータで確かめる。

労働分配率

 図表の通り、就職氷河期があった期間である1993~2003には、労働分配率は史上最高値を記録しており、前後の期間に比べ10%以上も高かった1。特に、企業会計から見たDI基準の労働分配率では、就職難の期間は日本は世界最高の労働分配率を記録している2。言い換えれば、就職難の間、実は企業は労働者を大いに優遇していたということもできる(これは後述の高齢化の効果であり、実際には同年齢賃金水準は低下している)。雇用者報酬は生産に比べ変動しにくいという性質から、労働分配率は不況になると上がるという性質があるが、この期間の成長率を見てみると、1993~1997の期間は実質・名目ともに成長率はプラスである3。したがって、この期間の労働分配率の上昇は純粋に雇用者報酬の増加に求めることができる4

 バブル崩壊から2004年までの期間、労働分配率が著しく上昇し、労働過剰感があふれ、新卒採用が激減する就職氷河期が訪れた。派遣解禁後に労働分配率は下がり高度成長期水準に戻っている。氷河期の前後で変化したのは格差の拡大であり、その指標となるジニ係数は拡大している5。格差の拡大を以って「富裕層優遇」という声が上がることがあるが、データはこれを否定する。所得上位1%(年収2000万円以上6)の所得独占度は高度成長期以来概ね4~5%で推移しており、10%にも達する英米と比較しても低い水準にある7 8。むしろ小泉内閣の期間中、所得上位20%は所得水準そのものは下がって、所得下位20%との格差は縮小しているほどである。全体の格差(ジニ係数)が拡大し、同時に貧困層と富裕層の格差が縮小したということは、すなわち「国民総中流」のうち中の上と中の下が分離したことを示す。その補足として、格差の拡大が所得下位と中位が分離した結果であり、中位・上位間格差はむしろ縮小しているデータを示す9 10 11。1993~2003の変化12で見る限りは、1993ころには月給30万円クラスの人が最多数だが、2003年には月給40万台が最多数になる一方で30万台や50万以上が急減、同時に20万円以下が増加している。ジニ係数の計算根拠である所得ローレンツ曲線を見ると、所得上位10%と所得下位30%で傾きが小さくなる=所得独占率が下がり、所得30%~90%の領域で傾きが大きくなる=所得独占率が上がっている。ここでも、所得最上位が減少する一方での、中の上と中の下の分離が見て取れる。

 以上の通り、「金持ちが庶民を搾取する」という構図は、安直に正しいとは言えない。「金持ち優遇が……」と言ったところで本質までは行きつかないのである。

「人口動態」が日本型雇用を搾取装置に変えた

要約:年功序列は40歳以下の賃金を抑えて40歳以降に後払いする方式である。この方式は、従業員のうち40歳以下が多いときには有効に機能するが、40歳以上が多くなると生産に対し賃金が過剰となる。少子高齢化で40歳以上が多くなった1993年以降、増えすぎた総賃金を抑制するために解雇を増やし採用を急減させた。一方で、不足した利潤を補填するためにサービス残業や偽装請負、派遣労働者やオフショアなどで奴隷労働力を要求するようになった。企業の労働者に対する態度が変わらなくても年齢別人口構成比の変化に脆弱な年功序列の性質が、労働環境悪化と格差の本質的原因である。

 格差拡大や労働環境悪化の原因をいわゆる日本型雇用慣行、年功序列と終身雇用の崩壊に求める向きが多い。確かにそれは直接的原因の一つではあるが、本質的には日本型雇用慣行が崩壊したのは人口動態が原因で自壊したのである。世に言われるような儲け優先主義の経営陣によって壊されたものではない。この節では、日本型雇用慣行の自壊メカニズムについて検証する。

 いわゆる日本型雇用慣行、すなわち年功序列と終身雇用の組み合わせは、本質的に言えば賃金を後払いする方式である。全製造業における生産性と賃金の勤続年数別統計によれば、賃金は勤続年数に応じて単調増加する一方、生産性は勤続25年程度をピークとしてその後は徐々に減少する 13 14。また、労働分配率が一定であると仮定すれば、勤続20年以下では生産に対する適正分配よりも少ない賃金であり、40歳を超えると訂正分配より多く受け取る方式となっている。したがって、年功序列とは、40歳前の貢献を40歳以降に受け取る賃金の後払い方式であるということができる。

ラジアー型年功賃金

 この方式は、企業の従業員のうち40歳未満が40歳以上より多いときには、平均すれば生産性のわりに賃金は低く抑えられている。これは企業に金銭的余裕を与え、新規投資や雇用増、賃上げのリソースとして使うことを許す。最近「株主重視に……」と言われることが多いが、この時期、企業の労働分配率が年功序列によって低く抑えられていたことにより、労働者自身から金を借りて資金源としていたともいえる15。この時期は企業は余裕を持って競争力を磨き、労働者は将来の昇給を期待してローンを組むことが可能になる。これは日本の高い競争力と購買力、中流の形成に大きく貢献した。

 しかし、40歳以上の労働者のほうが数が多くなると状況は一変する。生産性のわりに賃金の高い従業員を多く抱え込むことになるからである。日本がこの状態に陥ったのは、年齢別人口で最大多数を占める団塊の世代が40を超えた1990年あたりからである。もう少し言えば、それが不況によって露わとなった1993年以降である。生産性の割に賃金が高い状態=労働分配率の上昇が1993年以降起こっていることがそれを裏付ける。この期間、労働収益性は著しく悪化し、企業から競争力を奪い、日本全体のGDPの押し下げ要因の最たるものとなった(しかもこの指標の歪みはバブル崩壊以前からひそかに始まった長期トレンドである)16。企業会計の金銭的余裕の欠如は新卒採用減や解雇、非正規の大量導入をもたらした。労働分配率と雇用過剰感は戦後一貫して非常に相関性が高く、労働分配率66%程度を境目として企業は「雇用バランスが良い」と考える傾向にあること、労働分配率がそれを超えたとき、解雇や非正規労働力の導入などの“努力”が行われることが示されている17

この現象の同時進行は一見不可解であるが、約束された給料が高すぎたという一点を置けば説明可能になり、また統計はそれが起きたことを示している。

パーシェ式賃金比較

 パーシェ式賃金比較(性、学歴、年齢、勤続同一条件)による賃金水準は1993年で頭打ちし、1995年以降2004年まで下がっている18。しかし、同じデータセットからは、平均賃金は2001年まで上昇したことが示される19。つまり、従業員の内訳が、より賃金の高い層(=高齢層)に移っていったことが分かる。一方で、団塊世代の退職が始まった2004→2005には賃金水準は上昇したにも関わらず平均賃金は下がっている。上記データは連合のものであるが、端的に「約束された給料が高すぎた」ために「平均賃金が伸びながら、個人として見ると所得が下がる」という実態を示していると言えるだろう。

 この3つは1993~2004の期間であり全く一致する20

 年齢の違いによる賃金格差を裏付けるデータとして、年齢別階層別の所得水準の推移がある。所得下位の賃金が低下する一方、所得中位の賃金は50代のみ著しく上昇している21。また、所得1000万円前後の層でも30代後半以降は賃金が上昇している。一方で、割高な年功序列末期の従業員を整理解雇(リストラ)や早期退職によって排出した結果、高齢労働者内での格差の拡大が進行し50代での格差が拡大した21。そもそも年功序列とは、若い頃の賃金には差をつけず、40歳以降の昇進レースの中で差をつけていくというシステムであり、40年間掛けた長い成果主義なのである。40歳以上のほうが多くなり昇進ポストが不足する中で、リストラや出向まで含めた昇進争いの「成果」判定が出て行く中で、この年代の賃金格差の人口比重増大がそのまま全人口の格差拡大に反映されたともいえる。そのため、平均値としては年功性は落とされたのである22。以上の様子を少々乱暴な図にすると、以下のようなイメージになるだろう(あくまでイメージ図です)。  

コンセプト図

 企業は採用減や解雇によって実質人手不足となった23職場を、サービス残業24、安い賃金体系の新入社員や非正規職員、下請けへのや値引き要求や海外生産など、生産性のわりに安い賃金で済む手段で補った。生産性のわりに高給な高齢正社員を養うために、若者をより安くこき使って搾取したという構造がそこには存在する。労働分配率が2004年以降下がるのは、派遣解禁やベア凍結などの賃金抑制策が効果を表してくると同時に、団塊の世代の退職が始まったからである。労働分配率が下がる一方で、過大な賃金コストから開放された企業は新卒採用は大幅に増やし新卒採用は「空前の売り手市場」と呼ばれた。しかし、40歳以上が多いという年齢構成は変わっていないため、依然として生産性の割に安い労働力を必要としている事態には変わりがない。

 この問題の解決をさらに困難にしているのは、年功序列的賃金が高齢労働者本人や周囲にとって当然と受け取られており、全体で見たときの自分たちが賃金過大だとも自分たちが搾取側にいるとも思っていない、むしろ賃金水準を下げられ搾取される庶民側にいると思っていることである。約束された賃金を求めるのは労働者として当然の行動であるし、俸給表はかつてあるべきものとして定められたものである。問題は約束の給与が空手形になることが決まっていたのに、誰もそれに気づかなかったことだ。空手形の決済を求めた結果、企業は別の場所から搾取せざるを得なくなったのである。この点については、団塊の世代が悪意を持っていたわけでもないし道義的責任もない。しかし、この問題を解消するか否かの選択権は年配の側にある、ということは事実である。年功序列は新入社員という“子”からベテラン社員という“親”に所得を移転する仕組みであり、“子”が多いときには機能しているように見えるが“子”が少なくなると最後の“子”だけが損をして破綻するという意味で、ネズミ講に似た構造を持つことが1997年には指摘されていた25

 この節の重要なポイントは年功序列システムは景況や企業のがめつさと関係なく人口動態のみによって賃金抑制と就職難を生むことである。不景気にならなくても、新興国に雇用流出しなくても、必ず構造的に発生する問題なのである。実際、景気変動と関係が薄い公務員で人件費高騰と非正規の大量利用が起きていることがこれを裏付ける(これについては別の節で詳しく検討する)。同じように給料後払いのシステムを持っていたGMでは、高齢社員や退職者に対する支払いが過大となり、収益性の低いコンパクトカーを作ることができず、やがて破綻前には高齢社員や退職者に対するコストが問題となりながら倒産した26

 この分析自体は近年の雇用環境の悪化を調査する中で得られた観点ではあるが、問題認識自体は実は古くからあるもので、ぽっと出のものではないことは記しておく。ねずみ講構造が1997年には指摘されていたのは前述の通りであるし、問題が発生する13年前、1980年の年次経済報告書27において既に予想されているのである。そして、その中に示される調査では、当時「終身雇用は残してほしいが、年功序列がなくなるのは致し方ない」とする意見が労使双方から出ていたことは注目に値する。なぜ問題が理解されるチャンスがありながら、それを逃して雇用環境が大幅に悪化することになったかは、検討の余地があろう。この類の言説は、むしろ実際に格差が拡大するにつれ、貧困層の生活に目をむけて年功序列の機能していた時代を懐かしむものが多く、格差の原因としての年功序列の性質に目を向けるものがほとんどなくなったことは印象深い。

 そして、この分析は、もう一つの問題を予測する。団塊世代の引退後約10年で、団塊ジュニア世代というもう一つの人口ピークが壮年に差し掛かる(人口ピークが40歳以下にもう一つ存在していて小さな末広がりピラミッドが存在しているからこそ、団塊世代の引退で2005年以降に年齢別賃金水準の上昇と平均賃金の下落が同時に起きたのである)。そのとき、年功序列型の賃金システムが1990年代と同様に温存されていたとしたら、今から10年後、再び就職氷河期とリストラの嵐が吹き荒れる可能性がある。すなわち、この問題は過去の問題の記述にとどまらない。今から10年後に起こる問題を考える上での指標となるのであり、リストラや氷河期を防ぐためにも、今すぐ国民全体で検討すべき課題であると主張してこの節を締める。

日本型雇用を誰が殺したのか(その2)へ続く

(2009/11/6)


  1. 内閣府 労働分配率の推移 ↩︎

  2. 内閣府 平成20年度 年次経済財政報告 ↩︎

  3. 厚生労働省 第11回社会保障審議会年金資金運用分科会資料 ↩︎

  4. 労働分配率低下の問題はどこにあるかでは全労働者の値は一定であったと指摘しているが、これは裏返せば、自営業が多く、安定した賃金を捨てて自己責任の世界に住む人が多かったという意味である。この事情は従業員が社員になる日:EBOとリスクの分配に記した。 ↩︎

  5. 経済産業省 通商白書 2006年版 ↩︎

  6. 厚生労働省 平成18年 国民生活基礎調査 ↩︎

  7. Piketty, T. and E. Saez (2006) Evolution of Top Incomes: A Historical and International Perspective. American Economic Review, 96(2), 200-205. ↩︎

  8. 社会実情データ図録 家計調査による所得格差の推移 ↩︎

  9. 大竹文雄 所得格差の実態と課題 pp9-10 ↩︎

  10. 大竹文雄 日本の経営者の所得が低いこと ↩︎

  11. 財務省主税局調査課 ↩︎

  12. 馬場浩也 産業別就業者構造の変化およびパートタイム労働者の増加と勤労所得格差の拡大 經濟學論叢 第58巻 第4号 p1 ↩︎

  13. http://www.meti.go.jp/report/tsuhaku2006/2006honbun/html/i5000000.html ↩︎

  14. 川口大司, et al. "年功賃金は生産性と乖離しているか―工業統計調査・賃金構造基本調査個票データによる実証分析―." 経済研究 58.1 (2007): 61-90. ↩︎

  15. 鈴木準 労働分配率低下の問題はどこにあるか 参議院 予算委員会調査室 経済のプリズム, 65, 2009.2 ↩︎

  16. 小林慶一郎 「失われた10年」の原因は何だったのか 経済産業研究所コラム 2005 ↩︎

  17. 平成14年 産業活動分析 労働分配率の動向 経済産業省 ↩︎

  18. 日本労働組合総連合会 「2005年賃金構造基本統計調査」による賃金分析 3.賃金水準の推移 ↩︎

  19. 日本労働組合総連合会 「2005年賃金構造基本統計調査」による賃金分析 2.平均賃金 ↩︎

  20. 執筆後自己検証を行っていたが、1.労働分配率は均衡水準に対し5%超多い。2.1990年基準で賃金水準増加に対する平均賃金の増加の差は+5~10%である。3.生産性と賃金の年齢別関係に人口ピラミッドの推移を当てはめると1985~2005の間に生産性に対する賃金増加は3~5%程度と推定される……と、比較的整合性の高いデータを示す。就職氷河期は本質的に年功序列制度が高齢化に対応していなかったことが原因だと断言して、おそらく差し支えはないだろう。 ↩︎

  21. 大竹文雄 所得格差の実態と課題 ↩︎ ↩︎

  22. 社会実情データ図録 賃金カーブのフラット化 ↩︎

  23. この様子を分かりやすく示す図が以下である社内人口構成 ↩︎

  24. NHK国民生活時間調査 参考 ↩︎

  25. 「平成ネズミ講の手口」 週刊ダイヤモンド 1997年3月22日号 参考 ↩︎

  26. Roger Lowenstein 「GM破綻 真犯人は年金 教訓…財源なき約束が招く悲劇」 ↩︎

  27. 経済企画庁 「昭和55年 年次経済報告 第5章 第1節 高齢化,高学歴化,女子の進出のなかの雇用問題」 1980 ↩︎