表現規制論と女性の自発的モノ化

この数か月、女性を描く表現問題でのツイッター上の論争がかまびすしくなっている。その中で小宮友根氏が論考を出していたが1、規制論の根拠とするには後退しすぎでおおよそ法的根拠には使えなそうな物であったため、方々から突っ込まれていた2

私は穏健派なので、羞恥厭悪の感念を生じさせるようなものを規制したいという気分は尊重するし、それを法律として実装することに根本的な問題があるとは思わない。が、小宮氏の論はおおよそ具体的な規制論を語るには足りないものだと思っている。というのも、小宮氏の論を使って女性が主体となる表現をつぶすことが可能だからであり、《女性のための擁護》になっていない、と思えるからである。

表現論Ⅰ――ハーレクイン型の“女性向け家父長制ファンタジー”

筆者は従前から男性稼ぎ手モデルからの脱却に賛同しつつも、女性稼ぎ手モデルが代替案として浮上しないことを強く問題視している。リーダーになる、プロミネントな仕事をする上では、内助の功は重要であり、リーダーの男女格差を解消するには女性が女性稼ぎ手モデルに参入し、積極的に内助の功を受けるべきだと考えているからである3。また、女性稼ぎ手モデルが浮上しない原因として、ロールモデルの不足は言われるところであり4、公共における表象によって女性稼ぎ手モデルを促進すべきとも考えている――という点で「私作る人、ボク食べる人」という表現を批判する論5に賛成する立場である。

であるがゆえに、女性向け作品に登場するお相手役のキャラクター造形には不満を持っているのも事実である。例えばハーレクインやシルエットロマンスなどの女性向けロマンス小説では、お相手として高所得(例:医者)や肉体的壮健さ(例:カウボーイ)、あるいは守ってくれるイメージ(例:保安官)の職業が頻出する6。「肉体的に優れた男が金を稼ぎ、女を守る」というのは疑いようもなく家父長制的価値観である。小宮氏の論説の文脈に則るならば、これらの女性向けロマンス小説は不快感表明・排撃の対象とならねばならない。これらは男性稼ぎ手モデルを助長し、その観念を女性に植え付けるものだからである。

すなわち、「家父長制を暗黙に前提とする表象は排除されなければならない」というタイプのフェミニズムの論説のみをもって、高所得/壮健/守ってくれるイメージの女性向け作品の男性キャラクターを公共の場から排除するロジックを組み立てることが出来る。なお、メンズリブ(あるいは弱者男性論)から小宮氏のロジックを経由して同じような表現規制ロジックを組み立てることも可能だが、ここではそれは扱わない7

なお、筆者自身はそこまで必死になって排撃したいとは思っていないが、一方でそういったロールモデル――「家族のために歯を食いしばって働くお父さん」をそのままお母さんに置き換えたような――が描かれるべきだとは本気で思っているのも事実である。

表現論Ⅱ――女性エロ漫画家と加害性

ここ最近ツイッターフェミニズム関連で「炎上」したコンテンツには、女性作家の手になるものも多く含まれる。その中には絵柄がオタクっぽいので不愉快という難癖じみたものもあるが8、(お金のために)男性に受ける作品を描く女性作家は風俗と同じ、とまで言う人がいて、これはこれで炎上していた9

しかし、彼女らの表現がお金の為でだけであるといったら間違いなく偽であろう。自らの性欲の表現方法として漫画を選んでいる人は相当多い。私の知る限りにおいて、同人誌即売会で赤字リスクに怯えながら女性視点の異性愛ポルノを出している女性はありふれた存在であるし(実際出展者の2/3が女性10)、その多くは女性が買っている。これは不思議でもなんでもなく、ハーレクインにしろ少女漫画・レディースコミックにしろ乙女ゲームにしろ商業作品は異性愛ものが主流であり、それを買っている人はそれを求めているのであって、そういう欲求があるのである。同人(二次創作)でもそれはありふれており、夢女子/夢小説だのMary Sueだのといった名前がついていたものである11

そもそも論として、過去のフェミニズムの運動の中には「貞淑からの解放」「女性の性欲の自由」という文脈もあったはずである。すなわち、女性が貞淑を求められるのは家父長制により男から強制されているのであって、自由な女性は性欲の表現を躊躇しないというものである。この文脈は現在でも死んでいるわけではなく、近年フェミニズム映画として称賛された「マッドマックス 怒りのデスロード」中でも家父長制的権力による貞淑の強制(とそれからの解放)を視覚的に象徴するシーンとして、貞操帯(を外すシーン)が出てくる。

結局のところ、女性ポルノ作家をめぐる状況は、「お前の作品は男による性的搾取を描いている、それで稼いでいるお前はペンを持った売春婦だ」「は?私は自分の欲望を素直にペンに載せてるだけ。女に貞淑を求めるのは家父長制の要求でしょ。あんたは家父長制の布教者か何か?」と互いにフェミニズムを根拠にけしからん、いや問題ないと言い合っている、というような状況であろう。

なお、そこで「女性の主体性を問題にせよ」という反駁は考えられるが、それをもって表現規制/自主規制に持ち込むのは難しい。例えば女性向け作品(少女漫画、レディースコミック)では、イケメンから強引に迫られるシチュエーションは定番で、いわゆる少女漫画における「壁ドン」はミーム化さえした。しかしよく言われる通り好きでもない男にやられれば性加害の類の行為でもあり、小宮氏の議論を援用すれば「壁ドン」に「性加害を連想させ不快で排除すべき」と言うことすら可能である。加えて、そういった女性向け作品で自慰行為をする男は珍しくもなく、見方によっては「性加害を助長する表現だ」と言ってしまうことも可能だが、しかしだからといってそれを規制しましょうという話になると難しくなる。

また逆もしかりであり、男性向けポルノを女性が自分のために消費するのは普通であり、実際大手のオンラインポルノサイトであるFanzaの顧客の1/3は女性である12。Fanzaの内部統計ではむしろ女性ほど痴漢ものを好むという結果さえ出ているが、痴漢は当然性加害でありやったら犯罪である。痴漢ものポルノを「性加害を助長する」として規制すべきなのか、女性が男性より消費している点を加味して「貞淑からの解放」「女性の性欲の自由」という文脈に持ち込むのか、私には判断できない。結局のところ、表現レベルで是非を決めるのは、原理的に不可能だろう。

さらに言えば、男性に自慰すらするなと言ってしまう選択肢もあるが、そこまで来ると貞淑を求めてきた保守道徳と何ら変わらず、反人権的という攻撃対象になりうる覚悟は必要である。

自発的モノ化――ミスコンを肯定する自称アイドルのフェミニスト

最近のツイッター界隈でジェンダーに関する論争が激しくなるにつれ、「モノ化」(objectification)という概念が再び注目を浴びるようになってきた13。objectificationは、ある人を人格を無視してモノ(object)のように扱うとか、主体(subject)たる誰かの被操作物(object)にしてしまう、というような意味あいで使われている。「モノ化」の議論はフェミニズム文脈で多くされてきたので男性諸氏にも実感が持ちにくいかもしれないが、メンズリブの観点から言えば、女性による「男をATM扱いする、足扱いする」ようなモノ化に対する厭倦はずっと言われてきたことであり、決してどこか遠くの話ではない14

「モノ化」されるのは(少なくとも程度を別にすれば)不愉快かつ不適切であ(りう)るし、「モノ化」しているような表現に対する抑制を求める声は折々に訴えられてきた。性犯罪やポルノのように刑法で取り締まられているもののほか、例えばミス・コンテスト(ミスコン)は、女性を商品として競りを行うようなものだとして、その典型例として批判の対象となってきた。

日本でも、確かに、セクシュアリティにかかわる問題が全く無視されてきたわけではなく、ミスコンテストや売買春、ポルノへの反対運動、ピル解禁要求は時折浮上したし…… ――ホーン川嶋瑤子 (1993) 「言説、力、セクシュアリティ、主体の構築

ただ、筆者としては、ここ最近この「モノ化」を無制限に振り回すことに躊躇を感じている。というのも、女性の《自発的モノ化》とも言える行動――フェミニストを自称しながらミスコン、アイドルを目指し、自らを商品化し美の序列を打ち立てようとすることに余念がない人たちが少なくない、ということを目にするようになったからである15

フェミニズム側から美を肯定する主張として、「ありのままの自分を肯定する」「他者の評価・値踏みから自由になり、自分の美の価値観を謳歌する」といったもの(例えばボディ・ポジティブ系の主張)があるが、ミスコンやアイドルを目指すのはこれとは本質的に異なるものである。もし自分の美の価値観だけを主張したいなら、他者との比較であるミスコン、社会からの《ただ一人の人間としての存在承認》を超えた特別視であるアイドルといったものにはならないはずだからである。序列化、マウンティングありきの発想である。

そして、これらの活動には他者による評価・値踏みする視線が不可欠であり、自己を対象として=objectiveに=「モノ化」して見るよう要求している。こういった行為は従前「自己モノ化」(self-objectification)と呼ばれ、自分を見る目に服従する行為であり、メンタルなリスクを伴うので忌避されるべき、という位置付けであった16。しかし、ミスコン肯定、アイドル自称など他者目線の対象となることに積極的な「自称フェミニスト」がここまで多いとなると、これはもう《自発的モノ化》(voluntary objectification)と評価すべきだろうと筆者は考える。

これに類する発想は、女性社会学者からも「エロティックキャピタル」として提唱されている17。この概念の提唱者は、エロティックキャピタルを持つことで男転がしが上手くなり従属的ではなく主体的に動けるようになるのでエンパワメントでさえあり得ると主張している18。フェミニストを自称しつつミスコン、アイドルを目指し、社会的影響力の拡大を喜んでいる向きを見ていると、それがエンパワメントであり、「モノ化」ではあるが加害-被害関係がないエンパワメントであるようにも見える。

ただ、SNSにおいてリアクションを求めて過激な競争になりがちであることや、あるいは地下アイドルやらvtuberやらが競争が激化するにつれ「やりがい搾取」的な劣悪な条件が見られることを鑑みれば、「自己モノ化」の批判が解消しきったとは言えず、ポジティブな面とネガティブな面が共存しているという状態だろう。

「エロティックキャピタル」については、男女の非対称性から、女性が性を「資本」として扱えること――例えば女性の売春と男性の売春では稼ぎに大きな差があるなど――は俗流ではよく言われてきたが、筆者としてはそれはあくまで「下種の勘繰り」的な意見として見る部分が大きかった。ただ、上野千鶴子が女性のセックスについて語った最近のインタビューで、セックスワークを「自分の肉体と精神をどぶに捨てるようなこと」と発言し19、特にセックスワーカーの問題に取り組む活動家から顰蹙を買っていたのを見るに、そのあたりの「下種の勘繰り」的な意味でもセックスキャピタルを真面目に取り扱っても良さそうなように思える。

フェミニズムの進展と自家撞着

さて、ここまで3つの例を取り上げてきたが、そのいずれでもフェミニズム的な規制論に大してフェミニズムの立場から反論するという、フェミニズム内で完結するような議論をしてきた。小宮氏の議論はブロガーに「お気持ちでしかないと自白した」と揶揄されていたが、私としても氏の議論は容易に女性抑圧的な制度を産みうるものであり、危うさがあると感じている(ので本稿を書いた)。

小宮氏の主張を反女性的とする論駁を当てることが出来るのは、論争の中心となっているオタク界隈が社会一般や外国と比べ突出してジェンダーフリーが進んでいるということがあるだろう。コミックマーケットの出展者の2/3が女性であるように、当該界隈では女性の女性による女性のためのポルノは当たり前に存在しているし、個人的な推測では相当数のセクシャルマイノリティが含まれると睨んでいる2021

カナダのポルノ規制法源であるバトラー判決はポルノは女性の性的モノ化の産物であるということが大前提となっているが、これは後に同性愛ポルノを規制する結果22につながった。小宮氏はこの判決につながる1970~80年代の論説を表象規制論の根拠として挙げているが、そのような「古臭くて後進的な」価値観がアップデートされていないと、バトラー判決同様に「マイノリティ迫害的フェミニズム」に容易に転じうる危険性は指摘しなければならないだろう。

また、女性の自発的モノ化、エロティックキャピタルが論じられるようになってきたのは、女性が自身の性的魅力を自身のものとして扱える程度には女性解放が進んできたからという側面もあるだろう。例えばイスラム圏のイランでは、女性youtuberが顔出しの罪で頻繁に逮捕されており2324、自発的モノ化など考えられない状況にある。日本においてもかつては芸能人を下賤な職業とされ、いいところのお嬢さんは間違っても芸能界など目指すことはなかった。現在若者の間にこれだけミスコン・アイドル願望が公言されているのは、そういった抑圧から解放されたからであろうし、その環境の変化が「モノ化」の価値を変え、《自発的モノ化》を招いたともいえよう。

近年のツイッター上での騒動を見ていても、規制側にそういった環境の変化をロジックに取り込めておらず、そのために炎上しているようなケースが多いように見受けられる。オタク的と見做されたコンテンツを「大衆的な支配欲・征服欲を満たすため以外考えられない」などと豪語しながら後に女性消費者が多数派であると分かって尻すぼみになっているような人が表現規制を叫んでいるのが現状である。そういった人物に「女性創作者・消費者に流れ弾が飛ばない規制を練り込みましょう」と提案したところで、反論への対応ができず腰砕けになるのは目に見えている。現状のままアップデートなく推移すれば、今後も、反論を受ける前に逃亡する“当て逃げ”“放火魔”と揶揄されるような人物が騒いで誰かが反論の直撃を食って消え、というのが繰り返され皆疲弊していく展開がだらだらと続くだろうと予想する。

(2019/11/23)


  1. 小宮友根 表象はなぜフェミニズムの問題になるのか 世界. 2019年5月号 ↩︎

  2. ジェンダー社会学者によって「お気持ちフェミニスト」が適切な表現であることを示される 2019年11月22日 ↩︎

  3. 21世紀の女性の仕事、結婚、出産 ~生き方を選ぶ私の選択~ ↩︎

  4. 21世紀の女性の仕事、結婚、出産 戦略的結婚への拒否感(1)社会的ロール ↩︎

  5. 味の素が流した、「とんでもない」性差別CM「食事はお母さんが作る」は当たり前ではない 東洋経済オンライン 2014/08/08 ↩︎

  6. Cox, A., & Fisher, M. (2009). The Texas billionaire's pregnant bride: An evolutionary interpretation of romance fiction titles. Journal of Social, Evolutionary, and Cultural Psychology, 3(4), 386-401. http://dx.doi.org/10.1037/h0099308 ↩︎

  7. 別途、件のポスターの本質的問題は「記号化」であるという意見を頂いたが、メンズリブ側からの意見はこの「記号化」に対応する。すなわち、男性を頼りがいのあるイケメンで金持ちで無条件に守ってくれる、という記号として消費している、と言うことである。セクハラやDVの外形的調査を行った際、男性が「金を支払わされる」という形でのデートDVを受けることが非常に多いが、そのセクハラ・DVを紙面上で再現して「楽しむ」状況が生じているわけである。 ↩︎

  8. 別途論じられている通り、萌え絵というのは少女漫画と高い共通性を有し(例1例2)、女性作家が普通にいる領域である。 ↩︎

  9. "萌え絵を描いている女性は風俗嬢と同じ"『アグロスパシア』編集長・岩渕潤子 ↩︎

  10. コミックマーケット35周年調査 調査報告 2011年12月 ↩︎

  11. BLが同人に特異的に多いせいで、オタク論争における女性向けポルノはBLに話が向きがちだが、女性向け異性愛ポルノはありふれているし、商業まで含めれば多数派なのは間違いないだろう。 ↩︎

  12. FANZA REPORT 2018 ↩︎

  13. 江口聡. (2018) 「性的モノ化」再訪. 京都生命倫理研究会. 2018/3/24 ↩︎

  14. その意味では「働くお父さん」はモノ化として表現攻撃の対象になりうる。“家庭を顧みず”を頭につければそれがありうることは容易にわかるだろう。 ↩︎

  15. アイドル、なりたいですか?ミスコン、出たいですか? ↩︎

  16. Fredrickson, B. L., & Roberts, T. A. (1997). Objectification theory: Toward understanding women's lived experiences and mental health risks. Psychology of women quarterly, 21(2), 173-206. ↩︎

  17. Hakim, Catherine (2011)Honey Money: The Power of Erotic Capital: Penguin,(キャサリン・ハキム、『エロティック・キャピタル:すべてが手に入る自分磨き』、田口未和訳、共同通信社、2012). ↩︎

  18. 江口氏は、これらの主張は記述的に過ぎないので簡単に受けいれるわけにはいかないが、発想としてはアリだ、と評している。 ↩︎

  19. 「上野千鶴子さんに質問「ベッドの上では男が求める女を演じてしまう」 かがみよかがみ 2019/11/20 ↩︎

  20. ポリティカル・コレクトネスの進展と未整理の矛盾 ↩︎

  21. 萌え絵論争:オタクがセクシュアルマイノリティであるという仮説 ↩︎

  22. Little Sisters Book and Art Emporium v Canada en.wikipedia.org ↩︎

  23. イランで顔出し「Happy」踊った若者たちが逮捕 The Huffington Post. 2014年05月22日 ↩︎

  24. イランで逮捕された「ゾンビ女」の素顔 Newsweek. 2019年10月9日 ↩︎