政治家の「ワークライフバランス捨てる」発言は許せないが、政治家がワークライフバランスを取るのも許せない人々

高市氏の「ワークライフバランス捨てる」発言と、マリッサ・メイヤーの出産

自民党の新総裁に高市早苗氏が選出されたが、選出後のあいさつで党の国会議員に対し、「ワークライフバランスという言葉を捨てます」「働いて、働いて、働いて、働いて、働いていく」「全員に働いていただく。馬車馬のように働いていただく」と発言し1、波紋を広げた。文脈から言えば、その場に集まった身内(原則として議員、次いで党の職員)および自分自身に対する発言だが、そもそも「厳しく働くというメッセージ自体が問題がある」という意見が見られた2

このような例は過去にアメリカに例がある。米Yahoo!の元CEOであるマリッサ・メイヤー氏は、妊娠中にCEOに就任し、出産後わずか2週間で仕事に復帰する計画を発表したことや、分娩室から仕事をしていたという逸話が話題となった。この行為は、アメリカの働く女性たちの間で賛否両論を巻き起こした。賛成側意見としては、《女はどうせ出産離脱するから戦力にならない》という類の偏見に打ち勝ち、トップ企業のCEOでも出産が可能であることを示した云々というものである3。一方で否定的意見として、「目立つ彼女は否が応でも働く女性たちのロールモデル、基準になってしまうが、その基準を高くしすぎるべきではない」「間違った前例を作っている」という類の批判が見られた4

カジュアルに政治家に仕事への没頭を求める有権者

一方で、有権者やメディアは、ことあるごとに政権をつつく材料として「働け」「休むな」という要求を繰り返してきた。典型的なものは災害時の対応であり、地震があれば1秒でも早く本庁舎に来い、少しでも遅れれたようならSNSで延々と叩き続ける――といった光景は与党と野党、国政と地方とを問わずおなじみである。基本的に有権者やメディアは、24時間週7日常に対応せよという態度を、少なくとも暗黙に取っている。

こういうことを書くと、「災害、緊急対応はワークライフバランスのうちに入れるな、別物だ」という意見が返ってくることがある。しかしながら「緊急対応しない権利」「つながらない権利」はこの10年のワークライフバランス議論でもホットな分野の一つであり、国内でも医師のオンコール待機などで訴訟も含めて盛んに議論されてきた経緯がある5。フランスの法律に合わせてワークライフバランスを取るのならば「つながらない権利」により緊急対応を拒否することが可能なはずである。

フランスでは2016年の改正労働法に「つながらない権利」が盛り込まれました。業務用携帯電話を持たされている場合であっても、従業員は労働時間外に電話に出ることを拒否できます。メールをチェックしたり返信したりする義務もありません。
(中略)ドイツの「つながらない権利」は、フランスのようにまだ法制化はされていないものの、多くの企業が社員と独自の取り決めをしており、「つながっている人」は日本ほど多くありません。
――サンドラ・ヘフェリン 休めてる?勤務時間外に会社と「つながらない権利」欧州で浸透 疲弊せずに働くには 朝日新聞Globe+ 2023.12.20

こういった緊急事態に備えた拘束について、権限を委譲する仕組みを整えれば問題ない、といったような意見は(メディアが政争の種にするのを防げない以外は)あり得るだろう。災害であれば責任者が被災して連絡が取れないことも視野に入れた権限委譲・バックアップのプランはあり得るし、実際存在もしているのだろうと思う。しかし世の中、そういった権限委譲ができる問題ばかりではない。例えばえひめ丸衝突事故では「首相が緊急時にゴルフを続けていた」として批判されたが6、災害と異なりイレギュラーな事象のため対処マニュアルが作れるようなものでもなく、権限の事前委譲などはできない類のものだろう。

ともあれ、私が𝕏で首相の緊急対応の負担の話をしたところ、過半数の意見は「緊急対応して当然」で、つながらない権利の説明をしても「首相という職にこんな権利はない、別物だ」という答えが返ってくることが多かった。新総裁のワークライフバランス発言を批判していた人ですら、「首相は馬車馬のように働くのが当然で、私にそういう働き方が押し付けられないか不安だから批判しただけ」というように1/4ひねりを加えた答えが大半で、結局首相にワークライフバランスはなさそうであった。つまり、「ワークライフバランス捨てる発言」は許せないが、ワークライフバランスを取るのも許せないという人々が相当数いるわけである。

国政を担当するという職責

首相のような要職に女性をという声が出るのは、要職の影響力の大きさゆえである。例えば電気工事士の女性比率は2%だと言われるが7、社会的影響力は大きくないためか、首相や管理職、有名大学の女子枠と異なりクオータを使ってでも男女比を是正しようという声は出ない(所得や働きやすさの面で派遣事務よりよほどいいように見えるが……)。

影響力が大きいということは、決断の結果もより重大性が上がる。災害対応は分かりやすい例と言えるが、毎年の予算の配分であっても、首相の判断一つでおまんまの食い上げになって首をくくる人だって両手の指で数えられないほど出るだろう。より多くの人に影響を与える地位であるということは、より多くの人に責任を負うということでもあり、より多くの人から判断の是非を問う突き上げを食らうということでもある。少なくとも民主主義においては、政治家が国政について何かを決定したのであれば、その結果に対して「お前がそれを決めたんだろう、お前の決断のためにこの結果になったのだ」と言われるのは避けられない――accountability(決定責任)を求められる。そして首相という地位であれば、そういった決断を全部の分野で求められ、毎日がプレッシャーの連続となる。「私が休んだら人が死にかねない」という地位にいてプレッシャーを感じずに休める人のほうが少なかろう。そういう環境に置かれると「体力を回復しないと仕事に差し支えるから休む」といった気分になる。

そういうわけで、基本的に首相は仕事に没頭し、ワークライフバランスは悪くなる。過去の女性首相では、たとえばニュージーランドのアーダーン元首相は任期中に産休を取ったが、1ヶ月半で復帰し、加えて産休中もリモートで職務を行い、加えてパートナーを専業主夫にするという体制であった8。私も今まで日本のキャリア女性に対して、企業であれ正解であれトップを目指していくならアーダーン氏をロールモデルとするとよいと提案したことが何度かあるが、ただ、それをロールモデルとすることを嫌がる人が多かったという印象である。

「女性らしい働き方」というジェンダーの押し付け

さて、ここで当初の「ワークライフバランス捨てる」批判の言説についてもう一度𝕏から確認してみると、「男並みに働きます、男以上に働きますをアピールしなきゃいけないのはしんどい」「名誉男性」といった、「働くのは男の役割」といった前提、固定観念が垣間見えるものとなっている。

首相という地位は、常に「私が一つ間違えば人が死ぬ」という強いプレッシャーにさらされ、あらゆる分野についてレクを受け判断を求められ、さらにオンコールでの緊急対応まで求められる。責任もタフさも段違いである。そしてこの責任の重さや仕事のタフさは、その地位そのもの、職務範囲が課しているものである。「男のような働き方をしないと要職につけない」のではなく、「要職の、責任がタフな働き方を要求するのであって、現在は男女を問わずタフな働き方をできる人を歓迎している」というのが正しいだろう。上記ツイートをまとめると「責任は負いたくないが他人に口出しはしたい」というあさましい要望のようになってしまう。私はこれが正しいとは思わない。

「男並みの働き方」を批判している人からすれば、タフさは男の価値観だと言いたいのだろうが、私はタフさが男性のみに許された特権だとは考えない。責任を負うべき人が増えるというのは、扶養する家族が増えるのと定性的には同じだろう。そして、主たる家計支持者として家族を扶養する責任が男しか負えないとも思わない。世界の多くの女性政治家たちはその反例になっている。女性が常に扶養され子育てといった家庭での役割に時間を割くものだ、という大前提で「男並みの働き方」などと言うのは、女性の役割を暗に制限し、ジェンダーロールを押し付けていることに他ならないであろう。同じような意見は上記ツイート群についたリプライ等にも出てくるし、そういった中の「ガラスの天井とは君たちのような“フェミニスト”のことだよ」と当てこすりを言われてもしょうがないなという印象であった。

また、「普通の女性にとってプレッシャーになる」という、マリッサ・メイヤーの時も見られた意見が正しいとも私は思わない。前述のとおり、首相や経営者というのはその職責ゆえに「私が一つ間違えば人が死ぬ」というプレッシャーにさらされるのであって、そういった影響力と責任のある地位に女性を増やすという目標を我が国が掲げる以上、プレッシャーに耐えられる女性にそのロールモデルを示さなければならない。男性でも「総理の仕事は私にはまねできない、たとえ政治的に反対の党の総理でも尊敬する」「プレッシャーがかかる管理職に昇進するのは後でもいいかなあ、意欲のあるあの人はすごいわ」と、自尊心と現状認識の折り合いをつけているのであって、女性にそれができないわけではないだろう。

(2025/10/08)