メモ - 高卒が大卒の所得を上回る——文系大卒のレッドオーシャン化

最近「下手な大卒より高卒のほうが雇用市場で人気がある」という記事が出ていた1。この現象について、ある𝕏erは「日本は高卒で得られる程度の知識で足りるような産業しかなくなったということなんでしょうね。日本、終わっている」と日本特有の現象としている。

しかしながら、「下手な大卒より高卒のほうが所得が高くなる」という話は、実はアメリカでも同じような現象が見られ、日本に限った話ではない。むしろ、アメリカでずっと言われていた現象がついに日本にも来たかと感じたのが私の個人的な感覚である。

A. アメリカでの高卒の地位の相対的向上

私がアメリカで高卒の地位が相対的に上がっているという記事を初めてみたのは、2018年のThe Wall Street Journalである2。その記事では、特に建設業でホワイトカラーより高給が得られる可能性について言及されていた。同紙にはその後も継続的に「稼げる高卒」記事が出ている3

同紙によれば学位を取ったほうが総合的に有利なのは変わらないが4、相対的な地位は変化しており、世論調査でも学部卒の学位に対する評価は下がっていることが取り上げられている5

このような議論が出てくる背景の一つには、アメリカの学費の高騰がある。アメリカの大学の学費は過去30年で10倍、インフレ分を補正しても5倍という統計があり6、前述の世論調査でも「大学の学位の価値は取得コストに見合わない」という回答が過半数となっている。このような疑問は米市民の間で広く共有されつつあり、Forbes7やFortune8のような経済雑誌、あるいはThe Atlanticのような政治雑誌9でも議論の俎上に上っている。学費と期待所得で作った「ROI」のランキングも存在し10、「入るだけ赤字の大学」のようなものも指摘されている11(記事によると赤字順に美術、教員養成、宗教学、ソーシャルワーカー養成における特定の大学のようだ)。学術的にも分析フレームワークはあったが12、特に近年喫緊の課題になっているようだ13

大学教員は知の価値を信じているだろうから「もっと知識を」と言うのはまあ分かるのだが、一方でアメリカで問題になっているように学費高騰の末に「入るだけ損」「教員を食わせるために学生に損をさせるハゲタカ大学」のような状況が出現してしまっている以上、大学教員側が無思慮に「高卒には価値がない」という発言をするのは利益相反があるように感じてしまう。

B. 高卒でも「男の職場」が強い

「大卒より稼げる高卒」問題のもう一つの特徴は、実は「稼げる高卒」の業種・職種が限られている――具体的には建設業やテック業界など「男の職場」に偏っている点である。例えば、WSJの2018年の記事では「肉体労働はきついかもしれないが、建設業界では管理職より実入りがいい仕事にありつけるかもしれない」という話が紹介されている2。また別の例では、コロナ禍後期のテック業界でも高卒ブルーカラーの躍進が見られることが報告されている3。コロナ禍前期に女性が失業したと報告されることと比べると対照的である14

ここだけ聞くと男性だけ給料が多い女性差別だ、というようにも聞こえるが、日本であれアメリカであれ同一労働は同一賃金にするのが(特にブルーカラーでは)原則であり、建設業やテック業界に女性が行きたがらない効果の方が大きいだろう。端的に言えば、女性が大卒文系(特に人文系)に流入することでその卒業生が行くような職種は求職者があふれるレッドオーシャン化する一方、建設業やSTEM系(科学、技術、工業、数学)など男しか来ない職種ではそれが起きなかったため労働市場が売り手優位になっている、というのが実情であろうと思われる(なお、日本の1990年代頃のデータを見た研究では、法・経済など社会科学系では理系より収益率がよく、文学部ではやや低い)。

「男は高卒建設業を選択肢に入れて大学と天秤にかけるが、女はその選択肢を考えないので大学一択になる」「その結果大学全体で女に性比が偏る」という現象は、すでに現実化していると認識されている(下記記事では結婚時のマッチングについての内容に続くのだが、ブログの公開後に女の子の親から良い相手を見つけるために大学に入れるという暗黙の合意がある、という、大学が「就職予備校」どころか「花嫁修業学校」化している可能性について指摘されたことも付記する)。

「大学は、男性ではなく女性の場所になりつつある」この問題は、教育の質がほとんど変わらないのに大学の費用が高騰していることで生じていると、ギャロウェイ教授は話した。名門大学は学生数を増やすのではなく、贅沢な体験を提供することに重きを置いているという。それに加え、大学に通うような年齢の男性は、同世代の女性よりも大学以外の選択肢が多いとギャロウェイ教授は指摘する。「フロリダの建設現場に行くこともできるし、アプリを開けば警察官、消防士、貿易の仕事など、18歳で1日100~200ドル稼ぐことができる」という。15

女性の進路の偏りは大学内でもあり、STEM、いわゆる理系に女性が来ないことは男女差別が少ない先進国でも問題になっている16――というより、男女差別がなくなるほど女性はSTEMを選ばなくなるというパラドックスが報告されるほどである17。STEM系学部は卒業生の労働需給でも卒業後の所得でも圧倒的に良い(上位を独占)一方でお芸術系などはからっきし低く18、女性がSTEMを避けるのは男女の所得格差につながるためその点で問題視されているが、上記パラドックスによりなかなか解決しない問題になっている。

また、賃金の高い建設業などの高卒ブルーカラーは決して「頭を使わない」職業ではない。例えば港湾労働では沖仲仕がいた時代は歩合や日雇いがメインの肉体労働だったが、1970年代にコンテナ船が普及するとガントリークレーン等複数の特殊重機を扱うことが必須になっている。建設業でも同様に重機化が進んでいるし、現場によっては特殊な材料に関する知識も必要である。農業も商業的営農には重機の扱いに加え農学、化学、生物学、気象学、などの知識が一定レベルで必要になっている。WSJの記事23で取り上げられているのも男が多いSTEM系の建設業とテック業界が取り上げられているし、現場猫漫画をあげているアカウントでもパソコン叩いて書類仕事をしている姿のほうが目立つくらいである。 最初に挙げた田口善弘氏は「高卒で得られる程度の知識で足りるような~」と言っているが、理系の田口氏から見れば、ゆるふわ文系大卒より、高卒で現場で働く人間のほうがよほど「勉強ができる」ように見えてしまうだろう。

ともあれ、「大卒より高卒が人気」という現象は、女性が文系大卒に偏って進出したことにより、文系大卒の労働需給が崩れてレッドオーシャン化して期待所得が下がってきた結果、女性が進出しない類のブルーカラーの地位が相対的に上がっている現象と理解すると、今までの報告と矛盾がない(ケースワークが主で、それを直接的に示す統計がないが)。また高卒でも賃金が上がっていると報告されているのはそれなりに理系的素養を必要とする「肉体+理系頭脳」労働が多く、大卒より待遇の良い高卒が出てくることは、「理系の地位が上がり、文系の地位が下がる」というグローバルな現象の一環のように思える。

C. (追記)日本語研究

Cost-benefit analysisの研究があるのは見ていたが、普通に日本でも「大学の投資収益率」の研究がされていることを教えてもらった19。データが毎年度揃っているわけではないが、今のところ得られる最新の時系列変動データで、男子のそれ20と女子のそれ21を見る限り、男子では00年代を通じて徐々に"大学の投資収益率"が改善すると共に、女子では2010年代に入り"大学の投資収益率"が低下しているようである。

大学の投資収益率の時系列変化

ちなみに女子の時系列変動を見た研究では、「学歴同類婚を介した{結婚・出産退職型}{中断・再就職型}夫婦収益率」の計算がされており、知り合う夫のランクを上げるために大学に進学する"花嫁修行学校"という発想も普通に研究の俎上に乗っているようである。また伝統的には女子では短大の収益率が良かったが(グラフ右点線)、これは資格をがっつり取らせるためだそうである。

また、そのほかの研究2223を見ると、基本的にはいわゆる「銘柄大」ほど投資収益率が高くシグナル効果の影響をうかがわせることと、収益率が高いのは社会科学系(文系)で、理系は分散が小さいがそれほど高くない。ただこれらのデータは若干古いので、ここ5~10年の情勢といった論点には対応していない。

また、A, Bの論点のうち、アメリカの国内研究でROIがマイナスのものが出てきているのは、アメリカの学費高騰の影響があるだろう。またこれらの研究では高卒の所得は「高卒」という大きなくくりでまとめられているため、高卒の中でも一部の業種に限られるというこのメモの論点を検討にするにはそこに着眼したデータが必要そうである。その意味で、現在も直接的な統計的裏付けは今のところ探せていない。

<2023/08/08>


  1. 「大卒=負け組」の時代到来!? 超売り手市場で「高卒就職者」の需要が急増!Asagei Biz. 2023年7月18日 ↩︎

  2. 学歴なしでも高給取りになれる意外な仕事とは? The Wall Street Journal. 2018年2月16日 ↩︎ ↩︎ ↩︎

  3. Blue-Collar Workers Make the Leap to Tech Jobs, No College Degree Necessary. The Wall Street Journal. April 26, 2022 ↩︎ ↩︎ ↩︎

  4. For a Good Job by 30, Do This in Your 20s. The Wall Street Journal. May 2, 2023 ↩︎

  5. Americans Are Losing Faith in College Education, WSJ-NORC Poll Finds. The Wall Street Journal. March 31, 2023 ↩︎

  6. Andrew@Medium. Why has college gotten so expensive in the last 30 years? Probably because the government handed them a blank check in 1993. Sep 2, 2020 ↩︎

  7. Is College Worth The Cost? Pros Vs. Cons Forbes. Jun 21, 2022 ↩︎

  8. Ivy League schools are closing in on an $90,000-a-year price tag—but experts insist it’s still worth it Fortune. March 30, 2023 ↩︎

  9. WHY IS COLLEGE IN AMERICA SO EXPENSIVE? The Atlantic. SEPTEMBER 11, 2018 ↩︎

  10. BEST VALUE COLLEGES, payscale ↩︎

  11. The 25 Colleges With The Worst Return On Investment. Forbes. Aug 9, 2013 ↩︎

  12. Dunn, B. P., & Sullins, W. R. (1982). Cost-benefit analysis: Applicability in higher education. Journal of Education Finance, 8(1), 20-32. ↩︎

  13. Higher education accountability: Measuring costs, benefits, and financial value. The Brookings Institution. ↩︎

  14. Covid Shrinks the Labor Market, Pushing Out Women and Baby Boomers. The Wall Street Journal. Dec. 3, 2020 ↩︎

  15. 大学に進学する男性は女性より少ない… ニューヨーク大の教授は新たな「危機」につながると指摘 Business Insider. Oct. 01, 2021 ↩︎

  16. The STEM Gap: Women and Girls in Science, Technology, Engineering and Mathematics. American Association of University Women ↩︎

  17. Stoet, G., & Geary, D. C. (2018). The gender-equality paradox in science, technology, engineering, and mathematics education. Psychological science, 29(4), 581-593. ↩︎

  18. These are the degrees that will earn you the most money when you graduate - and the ones that won’t. World Economic Forum. Oct 28, 2021 ↩︎

  19. いろいろな疑問にまず回答するものとしては、以下のレビューが良いように思えた。
    濱中淳子, & 日下田岳史. (2017). 教育の社会経済的効果をめぐる研究の展開. 教育社会学研究, 101, 185-214. ↩︎

  20. 島一則. (2010). 第5章男子の大学収益率の時系列変動. 私学高等教育データブック 2010, 117. ↩︎

  21. 遠藤さとみ・島一則. (2019). 女子の高等教育投資収益率の変化と現状 時系列変動とライフコース・イベントに着眼した収益率推計. 生活経済学研究, 49, 41-56. ↩︎

  22. 岩村美智恵. (1996). 高等教育の私的収益率 教育経済学の展開. 教育社会学研究, 58, 5-28. ↩︎

  23. 青幹大, & 村田治. (2007). 大学教育と所得格差. 生活経済学研究, 25, 47-63. ↩︎