「令和」という元号がまさに現代を象徴していると感じた点

過去の元号

本日2019年4月1日に、5月1日の改元で「令和」という元号となることが発表された。この「令和」について少し語りたいと思うが、まずその前に、それ以前の元号がどのような意味を持っていたかおさらいしておこう。

元号 出典 文言
天保 『尚書』仲虺之誥 「欽崇道、永天命。」
弘化 『尚書』周官 「弍公弘化、寅亮天地」
嘉永 『宋書』楽志 「思皇享多祐、無央。」
安政 『群書治要』巻38 「庶民安政、然後君子安位矣」
万延 『後漢書』馬融伝 「豊千億之子孫、歴載而永
文久 『後漢書』謝該伝 武並用、成長之計」
元治 『周易』 「乾用九、天下也」
慶應 『文選』漢高祖功臣頌 輝,皇階授木。」
明治 『易経』 「聖人南面而聴天下、嚮
大正 『易経』彖伝・臨卦 亨以、天之道也」
昭和 『書経』堯典 「百姓明、協萬邦」
平成 『史記』五帝本紀 「父義、母慈、兄友、弟恭、子孝、内。」

天保~平成までの元号の出典は以上の通りだが、結局のところ煎じ詰めると「この統治者は偉いので統治が長く続きますように」ということしか言っていない。儒教を説くことの多い漢籍を典拠とすれば致し方のないところである。このような傾向も昭和までは身分制ありきなのでやむを得ないところもあるが、平成の時代に「父義、母慈、兄友、弟恭、子孝」という文言に続く典拠を出すのは「古臭い家父長制だ」と批判されてもやむを得ないところだろう。

また、明治と大正は、明治維新で(名義上だけでも)天皇親政になった時代を象徴している。「聖人南面而聴天下、嚮明而治」については、南面して天下の声を聴くというのは儒教における天子たる皇帝を指す以外の用法はなく、「大亨以正、天之道也」というのも天道を説いているので当然天子たる皇帝の統治のことを言っている。昭和と平成は各々WW1、WW2の反省で平和を祈念する意味合いを感じさせるが、それも明治と大正に象徴される強大国どうしの戦争の時代を経てのものと言えるだろう。

令和の特異性

過去の元号に比べ「令和」は異質である。

「令和」の出典は、公式の発表では初めて漢籍以外から選び、『万葉集』巻五「梅花謌卅二首并序」にある「于時、初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。」からとったとしている。この部分単独で見ても、前後の文脈を拾っても、「春の穏やかな日に梅の花が咲き誇っている。花見だ花見だ、というわけで花見の歌を32首紹介します」という趣旨の文となる。

ただし、この部分は万葉集の中でも漢文で書かれた序の部分であり、「令月氣和」といった表現は、もともと漢詩で春の情景を描く定番の表現であるようで、『文選』巻十五、張衡の文賦「帰田賦」にある「於是仲春令月時和氣淸原隰鬱茂百草滋榮」が上記万葉集序文の元ネタとしてすでに挙げられているほか、王臺卿の詩「陌上桑」にある「令月開和景。處處動春心」といった表現など広くみられるようだ。

いずれにしても、万葉集と漢詩のどちらを出典としても、統治者目線でなく、一人の人間の感性でもって春の良き日を寿いでいるという意味合いの言葉になる。これは、過去の元号が儒教的で統治者目線であったのに対して大きな変化と言えよう。

現代は、民主主義の時代、誰もが平等である時代、「国家のために奉仕せよ」といった文言が似合わない時代である。しかし、慣例通り漢籍に典拠を求めるとどうしても現代的センスには似つかわしくない儒教道徳を説いている場合が多い。「令和」はその列から外れるものである。

今回出典として万葉集が選ばれたのは、首相の支持層が中国嫌いであり漢籍からとるのを嫌ったためであるとまことしやかに囁かれており、個人的にもそんなところであろうとは思っている。しかしながら、それでも万葉集を選んだ意味はあったと筆者は考える。今回首相が万葉集を選んだ理由に「庶民も含めて地位や身分に関係なく幅広い人々の歌が収められ、我が国の豊かな国民文化を象徴する国書だ」という点を挙げている1が、万葉集は多くの漢籍に比べ「統治者目線」が弱く実際に庶民寄りであったり人間として共通の感性に訴えるような歌が多く、首相の思惑は別として結果として現代に似つかわしい「偉そうでない、誰でも共感できる」出典となったように思う。

実際には漢籍に出所が遡り、今後はまた漢籍から選ばれるかもしれないが、今回の「統治者目線でない」元号は現代風で新しく、当世の感性から言えば今後もこの傾向は続くだろう。また、「統治者目線でない」文言を選ぶことができたのは、万葉集の編纂者の感性によるところが大きく、万葉集も多く漢籍に拠るとは言え「儒教的でない」という意味において「我が国の感性」というハッタリは受け入れておきたいと思う。

(2019/4/1)