或るリベラルによる国籍観

この原稿は、クリスチャン・ヨプケ「軽いシティズンシップ――市民、外国人、リベラリズムのゆくえ」における古典的市民権が「社会統合を支えるリベラルな装置」であると同時に「排他性」を持つ(排他的論理和のように一つだけしか選べない)という側面があることを指摘する話です。


 最近蓮舫議員の二重国籍疑惑が話題になっており、それに対応する形でコリア系の帰化経験者からもコメントが出ているようで1、自分にも思うところがあるから、国籍とは何か、リベラルとしての価値観から考察する。

 我が国の小中高の教科書では基本的に近代リベラルの国家観、すなわち社会契約論に従った説明がなされる。ホッブズが言うところの自然状態、「万人の万人に対する闘争」状態から個々人が共通の法律に従うという契約を結ぶ、というようなストーリーである。細かいところで諸所様々な説はあるだろうが、「まず個人ありき、個人が共通の法律に従う契約を結ぶことで国家が成立する」というという大筋は変わらないであろう。

 社会契約においては、すべての個人は対等であり、「私は法律に従わなくてもよいがお前は法律に従え」といった不平等な関係は原則的には存在しないことが期待されるだろう(実際の法律の実装ではそうなる部分があるにしても)。いわゆる「法の下の平等」(の特に立法者拘束説)で、我が国憲法では第14条にその記述があり、日本国民であれば一切の差別・区別なく日本の法律から逃れられない。外国にいればある程度までは逃げることも可能かもしれないが、外国から帰化を受け入れてもらえない限りは何らかの理由で送還されることもあり得るので、究極的には国籍国の法律から逃れられないと言っていいだろう。

 特に立法者拘束説を想定した「法律から逃げられない」という要件は、立法者が他者に一方的に滅茶苦茶な拘束をかけて自分だけは逃れるといった事態を防ぎ、法律を「対等の人間による双務契約」とするうえで必要なことである。立法者拘束説は古くは特定階級が自分たちの階級に利を、他の階級に一方的に負担を押し付ける階級立法を危惧した議論がある2。現代の二重国籍で問題になる例も考えられる。伝統的な経済学では法人所得に課税するよりも個人に対する所得や消費に課税する方が望ましいという考えがあり3、これに則り所得増税・法人税廃止を行い、法人は浮いた税負担を人件費や役員報酬に均等に上乗せしたとしよう。このとき経営者の側は「我々も法の下の平等から所得増税されている。むしろ累進課税を考えれば我々の実質負担は増えた」と主張することも可能だろう。しかしこのとき経営者が外国人であった場合は税負担を逃れ丸儲けできることになる。実際EUでは高所得者の税逃れのための移住・国籍変更が問題になっている4。納税地の変更自体は移住のみで国籍変更を要さないが、移住を確実なものとするには国籍保持が有効な手段になるであろう。国会議員は民間企業の役員を兼務してもかまわないが、そのような人物が「自分も所得増税を負担することになるので所得増税・法人税廃止をするべき」と言いつつ、その実二重国籍で税負担を逃れることができたなら、一方的な負担の押し付け立法も可能になってしまう。法の下の平等の立法者拘束説はこのような事態を防ぐための考え方である。法共同体たる国家が「自由で身勝手な個人の合理的連合によって形成される」という建前を守るのであれば、このような拘束があるのは必然だろう。

 余談ではあるが、今回話題になっている蓮舫氏についても、華人コミュニティにおける税の意識が関連している可能性はある。中国・台湾をはじめとして、タイ、マレーシア、シンガポールなど華人が政治の要職を占める国では、一般的に相続税がないか、あったとしても税率は低い5 6 7 8 9。統計はないものの、華人コミュニティではこれらの国との二重国籍を保持し、相続税を節税する一瞬だけの移住をスムーズに行える可能性を保持しておくというテクニックは知られているようだ。筆者は蓮舫氏の父がそれを意識していたかどうか問うことはないが、二重国籍による節税のスムーズ化は技術的には可能であり、税制の立法者拘束への懸念を故なしとはしない論拠としては十分であろう。

 以上のようなリベラル的社会契約説をもとにして、「帰化する」「国籍を取得する」ということがいかなることかを考えよう。社会契約説では国家は特定のグループの社会契約の所産であるから、国籍とは「社会契約を結んだグループ」と言い換えて差し支えないだろう。すなわち、帰化する、国籍を取得するということは、自分以外の帰化先の国民と法律を共有する契約を結ぶ行為だ、と解される。さらに強く言えば、帰化先の国民の作る法律を信頼しそれから逃げないという宣言ともいえるだろう。帰化には帰化先の国の文化に適合するべきといった意見が(例えばドイツでも)あるが、社会契約(法律共有契約)は文化に拘束される必要はなく、そうしなければできないわけではないだろう。多文化が共存してもよく、実際に連邦制の国ではそうである。リベラル的社会契約説で要求される唯一の事項は法の共有のみであり、国籍に関してよく出てくる言葉で言い換えれば「アイデンティティは要求しないが、逃げないという忠誠心は要求する」ということになる。

 ここまで議論すれば、鄭大均氏の疑問――エスニシティを維持したまま帰化した台湾系の人に「どのような日本人」であったかを問う――に対して「教科書的な答え」を用意することができる。すなわち、「日本人は法律を共有する相手として信頼していいと思ったから帰化した。確かに台湾出身者としてのエスニシティはあるが、東京生まれの子供でも親の実家の地方に愛着を持つことと大きく変わることはない。私は日本の法律から決して逃げない」と言うことになるだろう。

 ただ、その意味では二重国籍は「法律から逃げる可能性がある」という意味で信頼を問われることになるのは理解できる。日本がらみに絞っても、最近ならペルーのフジモリが日本国籍を離脱していないことを利用してペルーの逮捕状を日本滞在で逃れていたが、リベラル的社会契約論の観点からすれば最悪であり許容できない行為であった。

 また、リベラル的社会契約論からいえば、外国人参政権は存在する理由がない。国籍とは立法に参加する契約そのものであり、それ以上の意味を持たない。ゆえに立法に参画したければその契約を結ぶのは当然である。むしろ逆説的に、「国籍を変えずに立法権を得る」ことを認めてしまうと「国家には個人の自由意思による法共有契約以外の存在根拠があり、すなわち個人より前に国家がある」ことまで認めることになってしまう。リベラル的社会契約論者の私としては、これは受け入れられない。少なくとも我が国憲法(特に第14条)においては、国籍は法の共有契約にすぎず、エスニシティやアイデンティティに立ち入るものではない。それらは思想や信教と同じカテゴリに入るか、またはその一部である。

(2016/9/5)


  1. 鄭大均 帰化者はもっと自分を語ってよい 一般社団法人日本戦略研究フォーラム 2016年09月01日 ↩︎

  2. 熊田道彦 平等原則における立法者拘束説 : ワイマール憲法第109条1項の理論的基礎 流通經濟論集 1(2), 85-100, 1966-12 ↩︎

  3. 大竹文雄 法人税減税論議で欠かせない視点 日本経済研究センター 2014年3月26日貝塚啓明 『財政学』 東京大学出版会・第3版、2003年、208-209 ↩︎

  4. 仏「税率75%」避け富裕層脱出 ベルギー国籍、倍増126人 2013/1/9 日本経済新聞 ↩︎

  5. Liyan Qi 中国で相続税導入をめぐる論議が活発化 The Wallstreet Journal 2013年10月3日 ↩︎

  6. なんとも低い台湾の相続税率 ビックリ仰天!台湾事情 第59回, ワイズコンサルティンググループ 2014年12月18日 ↩︎

  7. マレーシア遺言/相続サポート Malaysia Experts.net 「「マレーシアには相続税がない」ということにより、ご自身のマレーシア国内の資産にも相続税がかからないと思われている方が多くいらっしゃいますが、遺産を受け取る側の方(相続人)が日本に住んでいる以上は日本の相続税が課税されます。」 ↩︎

  8. 税金で見た「シンガポール移住」のメリット シンガポール移住生活&ビジネス singainfo.com 「シンガポールではこのような「相続税」や「贈与税」という制度自体がありませんので、子どもに多くの資産を残したいと考える人なら、シンガポールに移住する大きな動機となるでしょう。」 ↩︎

  9. タイの相続税・贈与税導入が『王国官報』に掲載。2016年2月の施行が決定 (グロビジ!) 2015.08.12 ↩︎