政治におけるパレート最適とナッシュ均衡

 世の中は、個人の利益と社会全体の福利厚生がある。各々が個人の利益を追求した場合の結末をナッシュ均衡(点)と呼び、社会システム全体の福利厚生が最大限まで達成されている「最大多数の最大幸福」の状態をパレート最適であると言う。

 この両者が一致していれば放っておいても皆幸せになるが、必ずしも一致するわけではない。「誰か1人が犠牲になれば他全員が助かる」「何もしなければ50%の確率で全滅する」という選択があれば、みんな自分がかわいいので自分の被害を最小化する選択をとり、後者の選択をとる(ナッシュ均衡)。しかし、全体としてみれば、利益の期待値は前者の選択のほうが明らかに大きい(パレート最適)。

 ナッシュ均衡は個々人の利益の追求の結果だが、それがみんなの幸せであるパレート最適と一致しているとは限らない。また、為政者はパレート効率性を追求しがちだが、そこには幸福の不公平性が常に見え隠れする。

民主主義の主権者としての、個人と為政者の視点の共存方法

 いつの時代もナッシュ均衡を求める声とパレート効率性を求める声は戦い続けている。一番多く目にする例はNIMBY施設の問題であろう。自宅の近くには作ってほしくないが、しかし、どこかにつくらなければ困ってしまう。ナポリではゴミ処理場が安全性問題で閉鎖され、またそのような問題を受け新規の建設に厳しい反対運動が起きており、その結果としてゴミが回収されない事態に陥っている1。明らかに誰かが我慢してゴミ処理場を作ったほうが皆の幸せにつながるのだが、自ら手を挙げれば損してしまうので、ナッシュ均衡としての「皆で不幸になろうよ」という状況が現出している。「皆で不幸になろうよ」という悲しい事態を避けるには、有権者も、どこかでパレート効率性を考えなければならない時が来るのである。

 しかし、両者が食い違う場合には、解決は容易ではない。日本でならば原発と再生可能エネルギーの賛否の問題について、いまちょうどそのような状況になっている。「原発反対!お前らは再生可能エネルギーを普及させるよう努力しろ!」などと言われれば、返す言葉は「まずお前の家に太陽光パネルつけてみろよ、不利益まで全部自己責任で負ってな」ということになる。当然逆の返しもできて、「原発は必要」という人に「じゃあお前が原発の隣に住んでみろよ」ということもできる。

 このような極論は「ロビンソンクルーソー的な自己責任論」に属するものであり、今の世で強制されるほどのことでもないが、だがしかし「個人に責任を負わせるな」と全員が言ったら誰も責任をとらなくなり、社会として取るべき責任を取らなくなってしまう。現代社会にロビンソンクルーソー的覚悟は不要かもしれないが、しかし全体でみれば宇宙船地球号という孤島に住んでいるには違いない。システムとしてロビンソンクルーソー的自己責任をとる必要はある。それが解決できなければ、ナポリのゴミ処理場と同じ憂き目を見ることになる。

ナッシュ均衡点をパレート最適に近づける

 ナッシュ均衡とパレート最適は、その場の状況と個々人の動くルールによって与えられる。所与の状況とルールではそれが不一致であることもあるが、ルールを変更することで一致に近づけることもできる。たとえば「誰を犠牲にするか」という選択をする際に、「各々が10%の確率で死ぬかもしれないリカバリー作業に従事すれば全滅する可能性は5%まで抑えられる」という方法を発見できれば、ナッシュ均衡点のパレート効率を大幅に上げることができる。

 政治、特に立法府の仕事とは、個々人の利益追求(ナッシュ均衡)がみんなを幸せにするよう(パレート効率的)なルールを作ること、と考えるのが世の中をうまく回すコツである、私はそう考える。利権はあったっていい。利権の追求がみんなの幸せにつながればいいのだ。

 日本の組織によく見られる順送り人事では、自分の任期中に面倒事が起きなければいいという無責任化が生じることがよくある。最近の時事ネタで言えば「面倒な原発安全化や脱原発プロセスをしなくても、自分の任期だけ無事ならいいや」という発想である。これは、ナッシュ均衡点がパレート非効率的である典型例と言える。このような状況を回避するには、個々人がパレート効率について考え、ナッシュ均衡点がパレート効率的になるようにルール変更する必要がある。この「順送り人事による責任回避問題」を解決するルールを考えることは、ナッシュ均衡点がパレート非効率的にならないようにするルール作りのいい演習になると考えている。

ルールを改正するタイミング

 私論だが、こういう問題を解決するには、自分に関わるが他人事として扱える程度のうちに問題を考える、というのがいい。誰だって他者を詰るときは時は饒舌になれるが、自分の責任になることは躊躇する人が多い。自己の精神的負担が最小のうちに自己責任の問題を片づける、これが最もいい。

(2011/05/12)