林業の過去、現在、未来

という2点について多くの人が興味を持っているようなので、それについてまとめておく。

概要

 日本の林業に関する現状は、戦後直後の状況に原因がある。これについてまず箇条書きで示す。

大量伐採とスギの大量植林の歴史

 第二次世界大戦終了時の日本の人口は約7000万人であり、焼け野原の都市に住宅を再構築するのが急務であった。加えて戦後のベビーブームで人口爆発が起こったことで、危機的なまでの住宅不足の状況が生じた。戦後のかなり長期間にわたって一軒屋がアッパーミドルのステータスシンボルとなり、狭い集合住宅が多くあり続けたのも、この絶対的な住宅不足が根底にある。戦後の総計では6000万人分、今の人口の半分のための住居を建設する必要性に迫られていたと言える。

 都市における旺盛な住宅需要から、建材も非常に大きな需要があった。しかし6000万人分の住宅を10年程度で建設するに足る自然蓄積は日本の山林にはなかった。戦後しばらくは外貨は貴重なものであり、おいそれ輸入できるものでもなかった。山林家や農林省は当初は自然のサイクルに基づいた伐採計画を主張するも、住宅不足の逼迫は激しく、世論は1950年代の論壇文脈もあって「資産家の山持ちが商品を出し惜んで値を釣り上げている」「成長の早いスギを植えて自然改造すれば問題はない」1として大量伐採とスギ植林を主張した。最終的に、世論に押し切られる形でこの主張は実行に移された。

戦後復興に伴って木材が不足し、国民は国有林にも民有林にも森林伐採を強く求めた。広葉樹林をそのままにしておくことは、国土の有効利用からして、罪悪のように言われた時代であった。一方で、国内の森林から木材を生産できないなら、海外から輸入せよという声も高まった。昭和36年から39年にかけて、木材の関税は引き下げられ、丸太は完全に無税となった。私が林業を志した23年前には、状況は一転していた。針葉樹人工林に対する批判が激しくなり、林業経営者は肩身の狭い思いをした。2

「大林業家とチビたワラジをはいて歩いている山村民を対照的に映し出して、山林地主を否定してかかった。左翼がかったマスコミ、それに教育された一般国民が、山持ちに対する批判を集中して反山持ちという社会的な世論ができかかってきた」の発言に見られるように、財産保持的乃至伐り惜しみ集団という社会的そしりを肌で感じた4000人は存亡の危機に立たされる。3

《戦後復興から拡大造林へ》
この時代の経営計画の特徴は、成長量以上の伐採を計画したことです。何でこんなことがまかり通ったのかというと、「いま造林している針葉樹の成長が早いので、いまたくさん伐っても将来は担保できる」と考えられたのです。4

 以上のように、戦後復興~高度成長の木材需要が急増した時期に天然林のストックを生産量以上のペースで切り崩し、急速に人工林に置換したが、この結果として、この時期に植林された樹木が非常に多く、一時的に山に出荷できない樹齢の木が多くなるという現象をもたらした。この事情を端的に表したデータとして、1966年と1980年、および最近の人工林の樹齢分布を見てみよう5。図左1966年の段階では、人工林の樹木はほとんどが樹齢15年(樹齢階級3)以下であった。その14年後の1980年には、1950~1966年の植樹ピークがそのまま15年経過し、樹齢15~30年付近にピークが来ている。このことは、1950年から1966年までの15年間で伐れる樹をほとんど伐りつくし、1966~1980年には出荷可能な樹木が人工林から枯渇していたことを示す。

森林資源の現況

 この経過をさらに詳しく見るために、森林面積と森林蓄積(森林を構成する樹木の幹の体積のこと)の推移を見てみよう。終戦から昭和40年代まで、森林の総面積(図左)は変わらないが、天然林が人工林に急速に置換される(図右)。加えて「おもに広葉樹からなる天然林を伐採した跡地や原野などを針葉樹中心の人工林に置き換えることで」「天然林は約15%減って」いる6。また1966年(昭和41年)の時点での森林蓄積1887百万m³は終戦直後1952年の数字7とほぼ同じである。既に見たとおり1966年の時点では人工林はほぼ樹齢15年以下の若木で埋め尽くされており、この期間の森林蓄積が変わらないことと併せて考えれば、1952年から1966年にかけて出荷可能な樹を売れるだけ売り若樹に置換し、その後しばらく若樹が育つのを待つしかなかったことを別の側面から見たデータとなる。

森林資源の現況

 このような認識は、林業を大局的に俯瞰した調査者は共有しているものである。たとえば平成23年度 森林・林業白書 第1部 第III章 第1節では、以下のような認識となっている。

我が国では、かつて、戦中の必要物資や戦後の復興資材を確保するために大量の木材が必要となったことから、大規模な森林伐採が行われた。その後、荒廃した国土を緑化するために、伐採跡地への植林が進められた。 人工林への転換に当たっては、早期に森林を造成して国土の保全や水源の涵(かん)養を図ることができ、建築用途に適し経済的価値も見込めることから、成長が早いスギ、ヒノキ等の針葉樹を中心に植栽が行われた。 人工林の多くは、いまだ間伐等の施業が必要な育成段階にあるが、木材として本格的に利用可能となるおおむね50年生以上(高齢級)の林分が年々増加しつつある。高齢級の人工林は、平成19(2007)年3月末時点で植林面積の35%を占めるにすぎないが、現状のまま推移した場合、10年後の平成29(2017)年には6割に増加すると見込まれている。

樹齢の偏りによる暗黒期と収穫期

 ここまでのデータで把握したとおり、1966年には伐れる木はあらかた伐りきってしまい、樹齢15年以下の若木が人工林のほとんどを占めるまでに至った。それでも建材需要は旺盛であり、1960年代に外材輸入解禁に踏み切る。外材輸入解禁について「安い外材のために国産材が駆逐された」というストーリーが語られることが多いが、そうではない。輸入解禁当時、1ドル360円の時代は外材は国産材より高く、円高の進行で国産材より安くなっていったのである8

 ここまで述べたとおり、1950年代には日本の林業は森林の蓄積を上回る再生不可能なペースで伐採を行ったが、輸入解禁後の木材消費量は、その生産量の倍であった9。つまり、需要に対して日本の自然生産力は到底足りていなかったのである。1970年以降の視点で見れば最初から輸入解禁すべきであったのだが、終戦後15年間はそのような経済的余裕はなく、外貨は貴重で出し惜しみすべきものだというのが一般的認識であり、輸入解禁はなかなか進まなかった。

森林資源の現況

 また、輸入解禁後に国産材の生産量が低迷しているが、もともと輸入材の価格は国産材よりも高かったのであり、少なくともプラザ合意までは「安い輸入材に押されて生産量が減った」とは言えない。1966~1980年の日本の人工林の樹齢分布から分かる通り、住宅用に適する樹齢50年以上の木が山に無かったためであると考えられる。昭和50年代から間伐や枝打ちの不足が問題化するが、これは売るものがないので管理コストが捻出できない状態にあったためであると推定される。  

収穫期を迎えた日本の林業

 こうして日本の林業は、20世紀後半に需要家の政治的圧力により売れる木を売りつくしてしまい苦境に陥ったが、2010年代に入り、1950~1960年代に大量に植林された樹木が収穫期を迎えつつある10 8 11

 日本の林業が沈滞していた理由を樹齢分布の偏りではなく生産コストなどに誤って帰属させていた主張の中には、「日本は地形が急峻で機械化できないからコストが高いのだ」というような主張も見られたが、日本と同じような急峻な地形のオーストリアでは立派に機械化がなされている12 13。日本の場合、売るものがなかったので生産装置自体も需要がなかったというだけの話である。しかしこれからの時期は大量植樹されたものを計画的に伐採していく時期であり、40年間進歩の止まってしまった林業生産が息を吹き返せるよう、伐採から製材までを近代化し、コストと品質の両面で満足できる自立した林業を作る時期が来たと見なしてよいだろう。またこの過程で、50年前の自然改造論からスギに偏った樹種ポートフォリオを見直し、スギしか生えないような日蔭の急斜面はスギを残しつつ、その他の部分については様々な樹種を導入して多様な需要に応えられるようにしていくのが良いだろう。

(2015/3/14)


  1. この時期はソ連が「自然を改造する」と言うことについて極めて楽天的に見ていた時期であり(参考1)、「アラル海は美しく死ぬべきである」などと平然として語られた時代であった(参考2)。このため、当時は左派の側が自然改造論に基づき伐採と針葉樹人工林への転換に積極的であった。 ↩︎

  2. 速水亨 杜からの言霊 第5回 広葉樹vs 人工林? ARCHITECT 日本建築家協会東海支部 2008年7月 ↩︎

  3. 小林直人 山からのたより 第2回 ↩︎

  4. 泉桂子「水源涵養と林業経営をめぐる森林思想史 溜める水と使う水」 ↩︎

  5. これらのデータは林野庁の「日本の森林資源」「森林資源の現況」に依拠しているが、グラフについては手を抜いて三祐木材のブログおよびにいがた木の家いいネットよりお借りした。 ↩︎

  6. 日本の森林面積と森林蓄積の推移 森林・林業学習館 ↩︎

  7. 平成19年度森林・林業白書 第III章 図Ⅰ-2 我が国の森林面積及び蓄積の推移および平成19年度森林・林業白書 第III章 第1節 「森林資源の充実」 によれば、森林蓄積は1952年に1722百万㎥、1966年に1887百万㎥で、差引165百万㎥増となっている。ただし無木地が200万haほど造林されているので、1966時点の人工林の蓄積70m3/haを当てはめ、その寄与分が140百万㎥程度と考える。すなわち、戦後20年間で森林蓄積の純量はほぼ不変と考えられる。1952~1966でおきた最善のシナリオは「森林の成長限界まで伐り出し、持続可能な限界で維持していた」 起きうるより悪いシナリオでは「切りやすい場所の商品価値の高い木から切っていき、売り玉は減少した」となる。 ↩︎

  8. 田中淳夫 日本の林業は、買いだ!? 2014年1月14日 ↩︎ ↩︎

  9. 国産材の出荷の急減 ↩︎

  10. 伐採期迎える道内人工林-いびつな樹齢構成是正に課題 北海道建設新聞 2014年03月19日 ↩︎

  11. 井上雅文 ここでは暫時三祐木材のブログ ↩︎

  12. 平成21年度 森林・林業白書 第1部 第I章 第2節 林業の生産性向上の取組(3) ↩︎

  13. 梶山恵司 欧州との比較による日本の林業機械と作業システムの課題 富士通総研 研究レポート No.316 April 2008 ↩︎