囚人のジレンマで長時間労働になっているものは規制したほうがよい
労働時間規制は、人道上の理由がベースラインにあるが、それ以外に「長時間働くと逆効果」という例も実は存在する。一般的には「働けば働くほど生産が増える」と思われがちだが、囚人のジレンマによりそれが覆されている例を紹介する。
小売店で囚人のジレンマが発生している例
囚人のジレンマではないという指摘について1
コンビニをはじめとして、最近の小売店は営業時間が長いところが多い。営業時間が長くなれば、それだけ多くの客を取り込めることになるのだから、売り上げ増を狙うために営業時間を延ばすという戦略はあり得る。しかし、どの店も営業時間を延ばしてくれば、営業時間を延ばした時間帯の客も奪われていく。
ここで少し考えてみよう。業界全体で長時間営業が進んだ場合、小売店業界全体の売り上げは伸びるだろうか?答えはノーである。人一人が一日に食べる量は変わらないのだから、ある地域におけるコンビニやスーパーの(生鮮食料品)総売り上げは、ほとんど地域の人口で決まってくるだろう。24時間営業を禁止して最長12時間営業に規制したところで、総売り上げが半分になるということはちょっと考えられない。
この状況は、囚人のジレンマになっている。ある1店舗だけ営業時間を延ばせば、その店舗は深夜の需要を独占して儲けることができるだろう。しかし、全店舗が営業時間を延ばしてくれば、総売り上げが大して変わらないにも関わらず営業時間だけが伸びることになる。その分、時給は下がり、人を雇うのを抑制して残業頼みになっていく。これを確認するために業種別残業時間2を見ると、コンビニが80職種中ワースト4位、外食がワースト10位、スーパーがワースト17位となっている。これは、小売店と言う業種で上述のような囚人のジレンマ、消耗戦的チキンレースが起きていることを示唆するものである。営業時間を延ばしても総売り上げは変わらないのだから、GDPに貢献しているわけでもない。
ヨーロッパでは小売店の営業時間は日本から見ると短めに規制されており、これはサービス業での労働生産性の高さに一定の貢献をしているものと考えられる。ただし、見方を変えると小売店で買う側の人間からすればサービスが悪いという話であるから、規制されると不便という感じもしないではない。ある程度バランスを取って規制したいなら、営業時間そのものを規制するのではなく、深夜割増賃金の時間と割増金額を多めに設定することで、深夜営業する店舗を絞り込み、その分を時給上昇として還元するのが穏当なところではないかと思われる。都市部では24時間営業で深夜誰も入らないコンビニが200mおきにあるのはよくあることであり、そういう場面ではその必要性も感じるときはある。
営業社員で囚人のジレンマが発生している例
小売店の例では顧客の利便性とトレードオフの関係にあるが、顧客の利便性に全く貢献しないのに囚人のジレンマが生じている、全くの無駄と言っていい例もある。その典型例として、営業社員のいわゆる「夜討ち朝駆け」を挙げる。こういった営業は多くのところで行われているが、不動産業界は人数も取引額も多く、熾烈な競争になっていたようである。
不動産業界も囚人のジレンマが生じる基本条件を満たしている。“売れる不動産の総額”は買う側の懐事情で決まっており、営業の人数を増やそうがそれが変わることはない。つまり営業社員を何人増やそうが何時間残業させようがGDPには何一つ貢献しない。労働効率のパレート効率を求めるなら短時間で済ませたほうがいいに決まっている。
しかしながら、市場内での生産者側の競争として考えた場合、事情は異なる。例えば「100時間多く夜討ち朝駆け営業を繰り返せば3000万円分の契約を他社から強奪できる」というのであれば、これをやる営業社員も出てくるだろう。具体的にどの程度効果があるかは分からないが、定性的にはこのような効果があることは否定できない。こうなると、他社も防衛的対抗策として夜討ち朝駆けを行うようになってくる。この結果、ナッシュ均衡は、営業社員が無駄に長時間駆けずり回るチキンレースということになる。
実際問題、不動産業界では営業のチキンレースはとどまるところを知らず、結局「夜討ち朝駆けは迷惑行為だ」という理由で規制されることになった3。ナッシュ均衡が残業時間無制限側にある場合、これを止めてパレート最適に近づけるには、規制が最も楽で確実である。4
不動産業界のチキンレースのようなケースを止める規制で重要なのは'''抜け駆けも規制する必要がある'''ということである。営業が成果給になっているようなケースでは、従業員自身が望んでチキンレースを展開することがある。この場合、雇用主vs従業員のケースだけ想定したのでは足りず、従業員側がやりすぎるのを防ぐために抜け駆け禁止のルールが必要になる。囚人のジレンマにおける「一人だけ裏切ると儲かる」という状況はルールで規制しないとならないのである。
なお、ドイツで車を買った人の話によると、自動車ディーラーに行ったところ日本のそれに比べ営業社員が極端に少なかったそうである。自分の実体験ではなく統計を調査したわけでもないので断言はできないが、日本とヨーロッパのサービス業の労働生産性の違いの原因の一つにはなっていそうである。
囚人のジレンマで長時間労働になっている職種の特徴
このような問題が特に激しく生じている職種の特徴を挙げると、
- 日本人相手の
- 対人サービス業
であるということが挙げられる。次に2008年度中小企業白書より業種別の生産性(単位時間当たりの付加価値)を示すが、小売業や飲食店の生産性が著しく低いのに対して、生産物が貿易可能な製造業、あるいは“完成品”を納品することで仕事として完結するタイプのサービス業ではこのような問題は生じていない。“納品”により売り上げが計上される業種では残業しても在庫が積み上がるだけでむしろ短時間で完成させることが求められるのに対して、対人サービスでは営業時間延長のチキンレースが生じていることを端的に示すものだろう。
日本はヨーロッパに比べ生産性が低いことが指摘されるが、製造業などではヨーロッパに特に劣っているわけではなく、サービス業、それも一部の小売や飲食などでの生産性の低さが格差の原因となっている。ヨーロッパでは労働時間規制・営業時間の規制がなされており、これが生産性の格差を作る大きな原因になっていると考えてよい(ただし規制したらしたで消費者としては不便なのではあるが)。
「完成」が見えている業種、見えていない業種
ここまで小売店と営業職の2つについて、本来の成果の総量が決まっているにもかかわらず、囚人のジレンマによって長時間労働しないとそれが得られない非効率的状況にある、と言うことについて論じてきた。ここから、さらにもう少し別の業種についてみてみよう。
業種別残業時間で残業が多いワースト側に、いわゆるクリエイティブ職とIT職がある。両者はともに「ここまでくれば完成」というゴールが不明瞭で、延々と労働力を投入しがちになるという傾向がある。一応納品すれば完成とは言えるのだが、IT業界などでは、納品後もバグにパッチを当てるのが常態であり、「完成」と確実に言えるという確証はメーカーに比べれば弱い。または未完成のままサービス供用するビジネス的なノウハウは、日本のIT業界ではあまり成熟していないとも言える。ただし、IT系の職種は納期寸前は缶詰、その代わり休みも多いという傾向は調査からも見て取れ、その分はある程度補填されているとも言える。クリエイティブ職はそういった見返りもなく、労働時間だけ見るとかなりつらいことになっている。
一方で、残業が少ないのがメーカー系である。かつてのプロレタリアート文学の影響か製造業は“労働搾取”の典型的イメージになっているらしく、非正規雇用問題についても製造業だけが集中的に叩かれた記憶があるが、実際のところ製造業は比較的残業が少ない。残業が多くなるのは急に受注が増えた時くらいである。そして労働生産性も欧州と同程度である5。なぜメーカー系で残業が少なくなるかと言えば、「これで完成」という目標が見えやすく、タスク量を定義しやすいからである。仕事の終わりが分かっているので、延々と労働力を投入することが起こりづらい。また売り上げが最終製品の魅力度だけで決まるので、それさえ確保していれば、小売店や営業職で見られるような労働時間投入のチキンレースも起こらない。
メーカーで労働時間が少ない特性を考えれば、長時間労働を減らす一つのコツとして、タスク量が明白に定義できるように職場内で改善を行うということが考えられる。その業種・職種に囚人のジレンマが働いておらず、倒産寸前の状況をサービス残業で補っているわけでもないのに無駄に残業が多いならば、業務範囲を明確に切り分け、責任の所在を明確にして、労働の成果を時間でなくタスクで計るようにするとよいだろう6。
(2014/7/4)
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相手の手が見えていれば囚人のジレンマではないという指摘がありましたが、とりあえず相手の手が見えていてもナッシュ均衡とパレート最適がずれていることには変わらない、と回答しておきます。また、これは賃労働者側から見た視点であって、経営者からの視点とはややずれがあります。 ↩︎
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株式会社インテリジェンス DUDA調べ 残業時間の多い職種、少ない職種 2013.9.9更新分 ↩︎
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川瀬太志 「夜討ち朝駆けは違法です!」~不動産の営業規制強化で業界はどうなる?~ biz誠ブログ 2011年9月27日 ↩︎
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DUDAの残業時間調査では不動産業界は軒並みワースト側に位置しているが、これは調査時期に不動産の受注が多かったのが原因か、構造上の原因かは調べていないのでわからない。 ↩︎
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城繁幸 残業チキンレースにそろそろサヨナラしよう! 2014年04月24日 BLOGOS ↩︎