グローバル化の必然の帰結としての不平等

スーパースター効果

 グローバル化が格差の原因になっているか否かという議論は数多い。私見としては、量はともかく定性的にはいわゆるスーパースター効果1により「知的財産を売っている」「一握りのトップ」が所得を上げやすい環境になっているというのが筆者の私見である。スーパースター効果とは、以下のような効果である。

 20世紀初頭までは、音楽や演劇は基本的に実演家による生演奏・名演技で提供されており、一度の実演で稼ぐことができるのは劇場の客席数が最大限であった。それだけではそこそこの収入にしかならないため、実演形は何公演もこなして日銭を稼いでいた。この時点での芸能界は、実演家の労働集約的側面が大きく、劇場ごとに中程度の収入のある実演家がいたと大まかに考えてよい。

それが一変するのはラジオやレコード、映画、テレビといった伝達メディアの登場である。これらの登場により、1人の実演家が相手にする市場は、一つの劇場の中だけにとどまらず、電波やレコードが届く限りの範囲に急拡大することになった。音楽家はかつてとは比較にならないほど圧倒的多数の潜在顧客を手に入れたことで、そこでの商売に成功すれば、労働集約的な職業では絶対に得られない莫大な収入を上げることが可能になった。20世紀後半に銀幕スターやテレビスター、ポップスターが大金を稼ぐようになったのは、基本的には情報流通の技術革新で1人の人間が相手に出来る市場が拡大した結果である。

 この話は芸能ならばなんでも同じである。例えばスポーツ選手が数十億、数百億といった単位で稼ぐようになったのもテレビ放映権料あればこそである。この30年ほど欧州サッカーは市場の拡大を続け、1990年代初頭には年俸1億もあれば稼いでいるほうで開幕当初のJリーグには世界最高の選手が数多くいたが、欧州サッカーがアフリカ・アジアに放映権の販路を広げると、ルールもリーグ形式も大きく変わることがないまま、トップ選手は100倍のもの年俸を得るようになったのである。

経営者も技術者もスーパースター効果の恩恵に与っている

 スーパースター効果が生じるのは「知的財産を売っている」ということが条件である。音楽家やスポーツ選手が売っているものは著作権や放映権という知的財産として表現できるものである。これらの知的財産はテレビやレコードなどの形で容易に複製・頒布することができ、これにより巨大市場を抑えることが可能になるのである。

 知的財産を売っているという意味では、経営者や技術者も変わることはない。例えば近頃世界では経営者の所得が労働者の平均所得に比べ大きく伸びており、ピケティらのデータを見る限りこれは近年の格差拡大の大きな要因になっているが、このような事態になったのもグローバル合併で会社が大きくなったからからという側面がある2。グローバルに進んだ合併により、従業員数や売上高は数倍、十数倍になり、その結果として一人の経営者によって動く(増減する)金額も数倍、数十倍となった。その結果として、「黒字が出せる経営者」を連れてくる利得のスケールが比例して増え、経営者が高額の報酬を得ることになったのである。例えば、従業員1万人に1万円ずつ多く稼がせる経営者が1億円の利益をもたらしていたとして、同じ手法で会社の規模が従業員10万人になっていれば、1万円ずつ多く稼がせた利得は10億円となり、利得に比例して報酬が高額化したと考えれば、先ほどの芸能の例の類推としても分かりやすいだろう。

 また現代はトップ技術者が数千万円の所得を得ているが、これもグローバル化、情報化による知的財産の市場統一の結果によるものものである側面がある3。例えばデータサイエンティストと呼ばれる職種はある種花形的な扱いをされているが、一方で「人が広告をクリックするかどうか確かめてるだけの仕事をしている人」と揶揄されることがある。この揶揄が成り立つのは、広告をクリックするかどうかなどは、1人当たりで見れば1円かそこらの価値しかなく、意義のある仕事に見えにくいからであろう。しかし、その広告を見るのが数億人にもなれば、その仕事は数億の価値になる。実際、アメリカ大統領選や、あるいはyoutubeのピコ太郎の動画では、そのような状況になる。広告を見させる仕事というのは美男美女の芸能人と同じ役割をしているのであるから、芸能人と同じような状況になるのはある種必然と言える。

 データサイエンティストの例は極端にわかりやすくしたものだが、携帯電話などは1990年代は各国内でそれぞれ競っていたものが、今はグローバル市場で数社が覇を競っているのであるから、数分の一の数の技術者に売り上げの責任が集中し、彼らは高年俸を取るようになっている。これも効果としては同じ原理に基づくものである。

スーパースター効果のもとでは、グローバル化は格差拡大をもたらす

 商品のコピーが容易であることは、市場全体が勝者総取り(Winner-take-all)になりやすいということも意味する。商品のコピーが容易ならば、消費者はベストの商品以外を選ぶ理由がない。音楽ファンは地元でヘタクソな演奏をしているアーティストには目もくれずトップスターの楽曲を買い、アジアやアフリカの(そして世界の)多くの人は地元リーグはそこそこに世界トップの欧州リーグに金を落とす。これは知的財産であるならば芸能に限った話ではなく、世界中のほとんどの人はGoogleの検索エンジン以外は使わない。使う必要がないからである。このように、知的財産を売り物にする市場では、トップの製品以外が売れることはほとんどなく、トップ一人に所得が集中し、一握りの勝者と大多数の敗者に分かれやすい性質を持つ。勝者の90%の能力を持つ2位の労働者でも、勝者の1/10の収入であることもザラにある、そういう世界である。

 ここでポイントになるのは、トップ層の所得がどんどん伸びているが、それは市場の形の変化によるものであり、トップ層の働き自体はあまり変わらないということである45。現代欧州サッカーでは若手が年俸数億、数十億で契約することは珍しくなく、比較的最近の選手であるジダンの現役時代に比べても数倍である(インフレ率を補正したとしても)。しかし、彼らのクオリティがジダンを上回るかと言えば、そうではないだろう。この話は技術者に置き換えても同じようなものである。広告を見させる仕事で高報酬が得られるのは、広告が多数の人に見られているからであり、市場の範囲が狭かったならば同じだけの仕事をしても稼ぎは大幅に少ないだろう。

 世の中がグローバル化するのはグローバル化による効率化のメリットがある――研究開発などを集約し知的財産を使いまわし量産効果を得られるからであるが、そのメリットはすなわち格差の拡大をもたらすことを意味する。グローバル化が起きると、働く人のスキルや意識、制度があまり変わらずとも、必然的に格差の拡大をもたらす。

知財を売って得た「勝者総取り」所得は正当か

 さて、知識・知的財産を提供することで対価を得ているという意味では、音楽家も、発明家も、あるいは経営モデルを売っていると見れば経営者も等しい存在である。この中で、前者を“搾取”の文脈で語る人は少なく、音楽家がファンを獲得したことで搾取を強めたという人はまずいないであろうが、後者は“搾取”の文脈で語られることが少なくない。特に経営者や大企業の場合は「優越的地位の濫用」のような不正競争とないまぜになって語られることもある。しかしながら、スーパースター効果の原理から言えば、正当な取引の数が増えたがゆえに高所得となっている要素もあり、これらは商業倫理の上では正当な取引によって得た正当な所得といって差支えはない。

 一方で、そのような「正当な所得」であっても、それが非常に高額になっているのは、市場の形、外部との関係からもたらされている。音楽家も発明家も経営者も、社会の人口が1/10になれば等しく所得を1/10に減らすだろう。世界がアイスランドだけになれば、そこには音楽だけで食える人も、年俸だけで常人の生涯所得を超えるような経営者も、広告をクリックさせる方法を考えるだけで平均所得の数倍を得る技術者も存在しえない。もちろん彼らも本当に人口の少ない世界に行けばそこで一番稼げる方法を探して適切な職を選ぶだろう。しかし、その職で得られる豊かさは、おそらく現世で得ている豊かさほどではないだろう。現場の解体屋のオッサンと有名経営者をそれぞれ無人島に放り込んで1人で生きさせたならば、オッサンと有名経営者の生活は大して変わらないものになるだろう。この点において、スーパースター効果による高額所得は、素朴な直観としての「本人の努力や才能に比例した所得」ではないのもまた事実ではある。周りとの関係によって得られた周りあっての高所得であって、高所得者が独力で得た所得とみなすのもまた無理があるだろう。

 私はこの点をもって、グローバル化の時代にこそ世界で連携して富裕層に課税すべきだというピケティの意見に賛成する。彼らが高額報酬を得ているのは、あくまで社会の人口サイズあってこそである。社会の大きさから《素朴な意味での実力以上》の恩恵を得ている人々が社会を維持するコストを支払うのは、ある程度正当化されるように思う。ただ、それを実行するにしても、市場の急速な統合と政治の不十分な統合がそれを阻むのである――人口小国のタックスヘイブン化と人口大国の対処に続く

初稿 (2014/05/11) 改稿 (2017/12/17)


  1. Rosen, S. The Economics of Superstars, American Economic Review 71 (5), 1981: 845–858 ↩︎

  2. Gabaix, X and A Landier (2008), "Why has CEO pay increased so much?", The Quarterly Journal of Economics 123(1): 49-100. ↩︎

  3. Kaplan, S N and J Rauh (2013), "It's the market: The broad-based rise in the return to top talent", The Journal of Economic Perspectives 27(3): 35-56. ↩︎

  4. Keller, W and W W Olney (2017), “Globalization and executive compensation”, CEPR Discussion Paper No 12026. ↩︎

  5. Keller, W and W W Olney. Globalisation and executive compensation VOX Column. 09 June 2017 ↩︎