コーヒー第三の波は日本にすでにあるとも言えるし、なかったとも言える

 最近「コーヒー第三の波」なるものが話題となっている1 2 3。現地で直接飲んだ人は「日本にはない喫茶店」と言い、新聞などで取材した記事では「日本に影響を受けている」と言う(実際、Kyoto style iced coffeeという商品を売っている)。両者の物言いは矛盾するようだが、これは両方とも正しいと言える部分がある。そのことについて、思うところ筆に随う。

美味いコーヒーを淹れる最低限の手順

 コーヒーの専門家やコーヒーマニアの間で常識と考えられている美味なコーヒーの淹れ方は以下のようなものである。

  1. 美味な生豆を用意する
  2. 豆の特性に合わせて焙煎し、2日目程度を目安に飲む。それ以降鮮度は落ち続ける。(主に加水分解、次いで酸敗)4
  3. 淹れる直前に挽く。豆の状態に比べ10倍以上の速度で鮮度は落ちる(主に香り成分の揮発)
  4. 器具の標準的な使い方に従って淹れる
  5. 淹れたらすぐ飲む(加水分解と揮発が分単位で進行する)

 「第三の波」というのは、これらを最低限満たして美味なコーヒーを作り、多くの客に安く提供しようという業態である。「第三の波」で重要なのは2, 3, 5に挙げた新鮮さである。コーヒーはもともと苦く酸っぱい不快な味を基本としており、新鮮なうちはこれらを感じにくいが、鮮度が落ちると不快さが前面に出てきて美味しくないを通り越して不快な味のする飲み物になる4。前世紀的な「美味しいコーヒーの飲み方」では1の豆の種類や炒り方、4の淹れ方が強調されることが多かったが、それらは美味しさの最大値を決める要素ではある。しかしどんな良質の豆でどんな器具を使おうとも、新鮮でなければ美味どころか不味になってしまうのは避けられない。このため、下手に高級豆を使うホテルよりも、回転率の高さで常に新鮮な豆が供給されるコンビニのほうが味が良いということを専門家さえ認めている5

 「第三の波」の喫茶店では注文があってから客の目の前で淹れるが、これに対して「素人にはわからない過剰サービス」「儀式めいている」「ハイプ」だのという批判がされたこともあった。しかしそれは誤りである。上述の1~5の一つでも手を抜けば、さほど味にはこだわらない素人でもブラインドテストで簡単に味の違いが分かる。古い豆を使ったり、コーヒーサーバーの中で何時間も煮詰めたコーヒーはどんな素人が飲んでもえぐく不味いと感じるものである。素人にもわかるほどの味の違いがあるからこそ、向こうで「第三の波」が流行るのである。

昔のコーヒーは不味かった

 コーヒーの新鮮さの追求は、実のところ今世紀に入って本格化したものであり、裏を返せば一昔前のコーヒーはひどいものであった。ファストフード店やファミレスに行けば、サーバーの中で何時間に煮詰められたような、どうしようもないコーヒー(マニアに言わせれば「泥水」)が供されるのが当たり前であった。個人営業でナポリタンを出すような喫茶店でも同様であり、運よく回転のいい自家焙煎店の近くに住んでいたか自宅で自家焙煎をしていた人でない限り、美味しいコーヒーと言うものの存在さえ知らない人が大半だったであろう(筆者はスーパー売りコーヒーの焙煎工場が近所にあり、一番安い豆がアウトレットの新鮮な豆だったという幸運に恵まれてこれを知った)。

 シアトル系コーヒー、エスプレッソブームというのはこういった状況をある程度改善した。少なくともコーヒーサーバーの中で何時間も煮詰められたものはかなり減った。ファストフードやファミレス、果てはコンビニでさえエスプレッソマシーンが入り、客は淹れたてのコーヒーを手にすることができるようになった。ドリップ系においても、ドトールコーヒーのようなチェーンが伸長することで、サンドイッチ材料などの生ものの配送とコーヒー豆の配送が一体化し、焙煎工場から毎日少量配送することが可能になり、状況はかなり改善した。

「第三の波」は日本のコアな喫茶文化がベースだが、日本の喫茶店も大半はダメだった

 「第三の波」の旗手、ブルーボトルコーヒーの創業者フリーマンは、具体的にいくつかの店名を挙げて日本の喫茶店を参考にしたと言っている。ただし、彼が挙げている店は、鮮度を保つため少量ずつ自家焙煎し注文を受けてから淹れる“非効率な”スタイルゆえにコーヒー1杯1000円程もするような店であり、日本の一般的な喫茶店からは程遠い存在であった。フリーマンは「1杯ずつ手で淹れる」という要素を挙げていて、確かに日本の古い喫茶店の少なからずがそうしていたが、それは美味なコーヒーを淹れるただの1要素にすぎない。良い豆を選び、焙煎して2日以内に挽いてすぐ淹れるといった正しい手順を踏まなければ、「第三の波」で言われるような美味なコーヒーにはならないのである。20世紀中にはそこまでやっていた店はそう多くはなかった。「古き良き喫茶店」も大半は大手の業者から買った挽いて1週間も1カ月もたったような豆を使っており、注文を受けて手で入れたとしても「第三の波」系ほどの印象深い味を作ることはできていなかった。比較的マシな「古き良き喫茶店」でもそのレベルで、ファミレスやファストフードなどではサーバーの中で何時間に煮詰められたようなどうしようもないコーヒーをサーブしていたのであるから、日本の喫茶店文化は全体としては褒められたものではなかった。そうであるがゆえに、それらのコーヒーよりはるかにマシなシアトル系は瞬く間に流行ったし、ファストフードやファミレスにはエスプレッソマシーンが入ったのである。

 日本の喫茶文化を総論すれば、世の中の大半がグダグダなものでありつつも、一部のコアなコーヒー好きの間で鮮度や豆のスペシャルティ重視の淹れ方が育まれていた。フリーマンはそのコアな文化を参考にして店づくりをしたのは確かだが、一方で日本人の大半はそのコアな文化に触れたことがなくブルーボトルを日本にはない喫茶店と感じたのは不思議ではない。この点についはフリーマン自身もそう述べており、むしろ日本の一般人はコアな文化に触れやすいようブルーボトルが日本に進出してもいいと述べているくらいである6

 ただ、コアなマニア層とはいっても会員制クラブのような閉じた世界ではなく、ある程度の都市であれば自家焙煎を売りにした店はどこかしらにはあったし、自家焙煎用器具や生豆の個人向けに通販が2桁以上の業者によって行われる程度にはオープンだった。21世紀に入ってからは個人ホームページやネット掲示板で盛んに情報交換が行われ、誰にでも検索してたどり着けるところにコアな文化が伝わるようになってきた(私がこれを知ったのも旦部氏の百珈苑という個人ページでである)。フリーマンはそういった文化に触れ、それを上手く取り入れて自家焙煎の店を大きくしたのである。

「第三の波」は良いコーヒーを安く提供することである

 日本にマニア向けの喫茶文化は存在していたが、それは一般には流行らなかった。それがなぜかといえば、値段が高くなりがちだからである。フリーマンが挙げている日本の喫茶店は、ドリップコーヒー1杯1000円くらいするような店である。値段が高くなる理由について「1杯1杯手で入れるから人件費がかかるのだ」という意見もある。その要素もあるにはあるが、もっと大きい要素は焙煎して2日以内に提供するというサプライチェーンの構築が難しいという点である。家庭内手工業的に小型の焙煎機を使うと、それこそ半端ない人件費が必要になる。ある程度のサイズの効率の良い焙煎機を導入すると、その焙煎機1つで1日1000~10000杯分を売り続けなければ元が取れない。ある程度まとめて捌ける規模まで行かないと難しいのだが、そこまで到達するのが難しい。

 フリーマンはその障壁を上手く乗り越えて見せた。一つには、彼は座席を置かないテイクアウト・立ち飲み専門店から始めることで、飲食店コストの3割を占める場所代(固定費)の問題を回避したことである。喫茶店は通常座るために入るものであって座席こそが客の目的であったりするが、周りに自家焙煎系の店がない中で、味だけを目当てにした客を上手くつかまえることに成功したわけである。もう一つの要因は、レストラン向けの卸などホールセールに力を入れ、量をさばく必要性の問題を解消したことである。大手の挽き豆パックを買っているところに、コーヒーミルを買わせて煎り豆を売ることに成功したのだから、大した営業力であろう。「第三の波」系のコーヒー店は、喫茶店が自家焙煎していると言うより、小口焙煎業者が喫茶店もやっているという形態が主である。焙煎の非効率性が一番のボトルネックなのだから、そこの効率化を目指せば自然とそうなるのである。

 一度ある程度の顧客をつかめば、その顧客に座席を提供することはたやすくなる。ブルーボトルコーヒーは座席付きの店舗を徐々に増やしている。現在は「第三の波」系はカテゴリとして認知されており、新規参入業者でも「第三の波」系であることを掲げれば、それを求める顧客との出会いは簡単になっている。やり方は分かっている。自家焙煎の店はいくらでもある。フリーマンも述べているが、そういった店は若者向けの雰囲気を作るのが苦手であったりとか、テイクアウト・立ち飲み専門という思い切った業態になかなかしないという程度のことであり、これらの障壁を乗り越えれば日本でも独自の「第三の波」系の文化が花開くこともあるだろうと思われる。

シングルオリジン、スペシャルティといった「第三の波」は海外発である

 ここまでは鮮度中心に書いてきたが、ここで改めて「美味な生豆」についても触れる。鮮度の維持は「不味くせず飲むための条件」であり、「美味しさのピーク」は生豆の影響が大きく、重要であることには違いない。

 20世紀においては、生豆の格付けはそれほど厳格ではなかった。例えばブラジルのように豆の大きさ(篩分け時のスクリーンの目の細かさ)で区分したり、中米(グアテマラなど)のように栽培地の標高で大まかに分けるのが主流で、例外的にブルーマウンテンなど産地指定が存在する程度だった。コーヒーは途上国のプランテーションでモノカルチャー的に生産されることが多く、価格の乱高下は産地の生活水準に大きな影響を与えるため、国際コーヒー機関(International Coffee Organization)など公的なカルテルによる流通量と価格の安定が優先されており、産地ごとの品質競争は後回しであった7

 この状況は、冷戦終了後、20世紀末から徐々に変わっていく。スクリーンや標高といった味以外の要素で格付けするのではなく味で格付けすべく、鑑評会が積極的に開催されるようになった。それに合わせ良質豆の選抜も農協や農園単位への細分化が進み、各農園も栽培法や製法を工夫するようになっていった。これらの鑑評会を積極的に開催してきたのはアメリカスペシャルティコーヒー協会(SCAA; 1982-)や、国際コーヒー機関の後押しで作られたAlliance for Coffee of Excellence (ACE; 1999-)であり、今日のスペシャルティコーヒーの隆盛は主に彼らの仕事である。

 日本でも20世紀は所与の輸入グレードに従って「ブラジルスクリーン17」「キリマンジャロAA」「グアテマラSHB」「ブルーマウンテン」などの特性を語ることが多く、これが長く続いてきた。新しい銘柄を開発することについては、UCCやキーコーヒーが散発的に新産地を開拓することはあり、“コーヒーハンター”川島良彰などはそれに貢献したが、組織的に流通構造を変えることについては米国に後れを取った。Coffee of Excellenceが始まって20年たったが、日本では未だ20世紀的な豆評論が「一般人向け知識」として流布されている。しかしこれはもう時代遅れといっても過言ではない。例えば20世紀にはもてはやされたブルーマウンテンはもはや特別な銘柄ではなく数あるスペシャルティのうちの一つという程度でしかない。商社と産地の双方の努力によって、今までは聞いたことのないような産地からブルーマウンテンを超える豆が次々に出てきており、比較的リーズナブルな価格で購入することができる。個人焙煎家などコーヒーマニアにとっては、旧来的な国別評価ではなく、新しい農園別のスペシャルティのほうが参考になるだろう。

終わりに

 コーヒーは本来的に苦く酸っぱくえぐみがあり、受け付けない人は本当に受け付けない。だが、スペシャルティ豆を鮮度を保って淹れたものは、受け付けない人でも好む人がいるほどの別物である。飲んだ後30分ほどは胃の中から良い香りが漂ってくるほどである。今後「コーヒーマニアのための言説」を書くならば、まず鮮度が重要なことを書き、産地ごとの評価もスペシャルティに一定の紙面が割かれることになるだろう。そうでないものは20世紀の言説を伝聞でまとめただけの偽物と言ってしまったほうが良いと思う。

 またブルーボトルが注目されていたころ、カリフォルニアのブルーボトルで勝った焙煎済みの豆をお土産で日本に持っていこうと言ってる人が少なからずいたが、散々書いた通り焙煎豆は鮮度が命であり、ブルーボトルも鮮度で売っている店なので、時間をかけて輸入したら台無しである。それよりは、日本の自家焙煎系の店で回転のいい商品を買うか、自家焙煎するのが良い。

初稿 (2014/01/09) 改稿 (2018/09/25)


  1. コーヒー流行「第三の波」…農園単位で豆選び 2013年11月22日 読売新聞 ↩︎

  2. ドイツのバリスタが絶賛。日本発ハリオのコーヒードリッパーV60 PUNTA 2013年8月29日 ↩︎

  3. 第三の波、日本の珈琲文化、ハリオ式 The Narrow Road to the Deep North. 30 April 2012 ↩︎

  4. 旦部幸博「コーヒーの科学『おいしさ』はどこで生まれるのか」2016. 講談社 ↩︎ ↩︎

  5. 川島良彰「コンビニコーヒーは、なぜ高級ホテルより美味いのか」 2015 ポプラ社. ↩︎

  6. ジェームス・フリーマン独占インタビュー ホテルガイドTablet M Magazine. 2013.02. ↩︎

  7. 旦部幸博「珈琲の世界史」2017. 講談社 ↩︎