左派の蹉跌――福祉が憎悪を惹起する

この随筆は、「多文化共生」を主張する左派に対する苦言です。ただし、私個人は外国人憎悪をする人に否定的で、「新興国によって貧しくなった論は誤りである」だの「日本は米国債を買わされている?」だのといったものをわざわざ書いているくらいである、ということを念頭に置いたうえでお読みください。


 2010年は、ヨーロッパにおいて、多文化共生や移民に対する非難が伸長し、民族主義だのを掲げる政党が躍進するケースが目立った*1。オランダで反イスラムを掲げる極右政党自由党が躍進して政権運営に影響を与えるまでになった*2、スウェーデンでも極右が連立入りをするかどうかのキャスティングボードを握り*3、メルケルが多文化共生は失敗であると発言し*4、外国人排除を唱える本がドイツで100万部売れたりもした*5

 この傾向は、仏のサルコジ、独のザラツィン、蘭のウィルダース、ノルウェー進歩党、デンマーク国民党、スウェーデン民主党など、政権与党の幹部や、あるいは連立に参加できるほどの勢いを見せている。

 これらは単なる外国人への八つ当たりとは言い難い。むしろ、左派の主張を実行に移した結果として、左派の主張が反感を買った、ゆえに右翼が伸びたというケースであることが注目される。

福祉が憎悪を惹起する

 左派は「高福祉」と「多文化共生」を同時に謳うことがしばしばあるが、実はこの両者は同時には成立しえないのではないかと疑わせる事象が近年目立ってきている。

 北欧諸国では、高福祉高負担ゆえに「俺たちの税金で外人に子供手当なんてとんでもない」という国粋主義が急激に伸長しており、福祉ショービニズムと命名された排外主義が起きており*6、外国人への福祉の制限や「域外からの移住労働者受入れを厳格に制限している」ことが指摘されている。福祉政策は「お互い様」理念に支えられている面が大きいが、「お互い様」を認める範囲が結果的に「民族自決」*7で決まった国家の範囲にちょうど収まったという格好である。端的にいえば以下の引用の通りである。

基本的に保健衛生とか社会福祉ってのは、共同体の相互扶助の精神によって成り立ってるんで、その精神基盤になる社会をぶちこわす異物に対しては過剰なまでに過激になるんだな。悪い言い方をすれば、一昔前に欧米カブレの自虐的な学者共が言ってた「ムラ社会」そのもの。EU域内の人の出入りが激しくなった結果、地域共同体の結束とか負担の平等感にストレスが生じ、外国人排斥につながっていってる。 ここら辺を言わないで「欧州では~」を国内で言う奴が多すぎるんだよな。この手のフレーズ使い回すバカの社会福祉関連での講演会はマジで止めてほしいガチで。

 かつての極右は、ネオナチのような社会の底辺が憂さ晴らしにやっているというイメージがあった。しかし、福祉ショービニズムとともに現れた勢力は、中間層が再分配の負担増を嫌ったために出現した勢力であって、社会で一定の立場を持っている層である。おそらく、これらの層も、再分配がそれほど負担でなければ移民に対する敵意はもっと小さかっただろう。あるいはアフリカの貧困国にもっと無償援助を、などと言っていたかもしれない。現に、再分配の少ないアメリカでは、移民に対する敵意は少なく保たれている*8

 いずれにしても、ともに左派の好む政策である再分配政策と外国人許容が組み合わさると、中間層の移民に対する憎悪を惹起し社会を右傾化させる、という傾向が明白になってきたのが今年の選挙結果である。

 ドイツでもザラツィン論争においては、その論争の前後で外国人への給付に対するアンケートがわざわざ取られていた。*9。その中でも、このコメントは、福祉ショービニズムの傾向をよく示していると言えるだろう。

「子だくさんの移民家族が手当をたくさん受け取っている。ドイツ人は失業が怖くて子どもを持てない。こんな現状が続けばドイツは終わりだ」

 ドイツはもともとCUDなどの保守派が一定の強さを持ち、90年代に外国人地方参政権を違憲と定めている程度には保守的であるが*10、福祉ショービニズムの傾向が顕著になってきたのは最近という印象である。オランダのウィルダースも、福祉にかかるコストを煽りの道具として用いている*11

労働者vs失業者の争いは移民に限らない

 この下層移民への憎悪は異文化排斥の傾向に基づくものであると見たくなるが、実は類似の構造は19世紀のマルクス「資本論」「共産党宣言」の中にも見られる。彼は浮浪者やスリ、日雇い労働者などでアウトロー的立場の者ををルンペンプロレタリアートと定義し、彼らを共産主義労働者共同体から排除すべきだと主張している。後の共産主義国家では党中央に従わない貧民層がルンペンプロレタリアートに該当するとして暴力的に排除されていくことになる。

 福祉ショービニズムにおける移民は、このマルクス的な意味でのルンペンプロレタリアートに該当することが多い。社会民主主義的な強力な再分配を行う国家にあって、共同体の共通理念に従わず、軽犯罪の犯罪率が高く、労働への参加が比較的少ない。福祉ショービニズムの局面においては、彼らは外国人だから排除されているというより、マルクスの時代から続く構造に基づく、左派に内在的な憎悪生成機構によって排除されている、という面は否定できない。*12*13

 外国人でなくとも、再分配への不満から中間層の憎悪の対象となっている貧民層は存在する。イギリスでは手厚い子供への給付金があるが、このために給付金を得るために子供を4人程度産む無職の母親・夫婦が相当数存在し、給付金で納税者より贅沢な暮しを送っているために納税者の憎悪を買うケースがまま見られる*14*15

 日本は「世界で最も成功した社会主義」と呼ばれたこともあり、勤労者を尊び、ルンペンを憎悪する傾向にある。ニートはいわんや、失業者でさえも下手をすれば「努力不足」扱いされ救済措置が遅れる傾向にある。失業者の救済も、有権者の多数派をサラリーマンが占めているゆえに、まずは景気を改善しておこぼれを失業者に流すべきだとするトリクルダウン的な発想に民主主義的に落ち着く*16。日本の雇用カルチャーは左派的な性質を持ち、それがゆえに左派的な憎悪構造を内在しているように思われる。「子供手当を外国人に出すな」という言説が出たのは日本のカルチャーにあっていたのであろう。最近民主党幹部が「国益」という右派的用語を使うようになってきたのだが*17、それも「世界で最も成功した社会主義」が潜在的に持つ“国家社会主義”的な有権者の意識構造の表出であろうか。

多文化共生が多文化共生を破壊する

 これらの外国人憎悪は、隣人となって文化摩擦を経験したから引き起こされたのであって、隣人でなければ仲良く付き合っていけたのではないか、という見方も少なからず存在する。このような味方は、たとえばメルケルの「多文化共生は失敗」発言を受けたテレグラフ*18の記事にも見られる。

That was principally the fault of the multiculturalist creed espoused by the Left, which encouraged different ethnic groups to do their own thing, meaning they became more estranged from mainstream society and from one another.

 外国人との共住を、外国人や多民族という言葉を避けて多文化(Multicultural)と表現したのは適切であった。なぜならば、このタイプの軋轢は単なる民族主義(racism)や外国人嫌悪(xenophobia)では片づけられないからである。それを、カルチャーの異なる日本人同士の関係に置き換えて例えてみよう。

あなたは念願の自宅を買ってこの土地に落ち着いた。
しかし、10年ほどして、様子が変わってきた。
近所がある新興宗教の信徒に入れ替わってしまっていたのだ。
その信徒たちはあまり所得が高いとは言えず、
自治会費の滞納が相次いだためあなたが数万円も建て替えなければならなくなった。

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あなたは貧しい学生を助けるために下宿生を受け入れていたが、
ある時やってきた下宿生は、実はある宗教団体の信徒だった。
彼女が毎日なにか唱えていると気付いたのは、彼女の荷物を運びいれてからである。
そして、1年とたたないうちに下宿の身でありながら出産してしまった。
彼女の信仰により、避妊はしないそうなのである。
まさか、下宿生とともに赤ちゃんが居つくとは思わなかった。

 この“新興宗教”の部分には、カルチャーの違いから軋轢の多い、あなたの嫌う何かの宗教・セクトを入れておけばいいだろう。有名どころで、創価学会や顕正会、統一教会、立正佼成会、生長の家、エホバの証人などである。または右翼団体や革マル派など新左翼の過激派だったセクトに置き換えてもよい*19

 おそらく、多文化共生を唱える人でも、新興宗教に置き換えて「お前の家に居候させられるか」と言われれば、かなりの人がきついと感じることだろう。

 これは日本人が外国に行った時も同様である。たとえば日本人女性は入浴を頻繁に行うが、入浴頻度の低い外国女性とルームシェアを行うと、かなりの頻度でいさかいに発展する。日本人の常識と外国の常識の違いが、同居しなければ問題にならなかったはずなのに、同居によって顕在化するのである。

 カルチャーが異なる人が遠くにいたと言うのであれば、嫌悪感を催す人は少ないだろう。旅行者として中東を訪れてもイスラムを嫌悪したりはしないだろうし、あるいはイスラエルよりパレスチナ自治政府にシンパシーを覚える人も多いのではなかろうか。しかし、その人が、家の周りが皆中東移民ばかりになっていたら、同じ感情のままでいられるだろうか――イスラム教にシンパシーを覚える人は、イスラム教の部分を創価学会でも統一教会にでも置き換えたらよい。

 ともあれ、ここで伝えたいこととしては、カルチャーの違いが大きい人々が集住したり、余りにも近くにいたりすると、無用な軋轢を生むということである。異邦ではエキゾチックで魅力的に感じられる文化であってでさえ、隣に引っ越してきたらしばしば軋轢を生み、憎悪を惹起する。移民の国アメリカでさえ、人種の溶融炉にはならず人種のサラダボウルとなり、星条旗への服従という愛国主義のみでしか憎悪を抑え込むことができない。多文化共生は多文化共生を破壊し、それを防ぐためには国旗国歌を象徴とする愛国心に頼るしかない。これは、個人志向、多文化共生主義が内在的に持つ矛盾である。

文化が法を規定する場合、異文化は同じ法を共有できない

 異文化との軋轢が単に好みの問題である場合、一つの国家内でもサラダボウル状に住み分けを行うことで問題は解決できる。しかし、文化が法を規定する場合、法を共有する市民の集まり=国家は成立が難しくなる*20

 このことを端的に表しているのは、イスラム法と男女同権の対立であろう。イスラム教では一般に女性の権利は比較的制限されており、特に公衆の面前に立つことに制限が大きい。一方で、ナポレオン法典以来の人権主義を取る(日本を含む)国々では、男女同権を基本とするカルチャーを指向している。男女同権という憲法とイスラム法が真っ向から衝突し、同じ法を共有できなくなるのである。

 多文化共生主義は人権主義に立脚することが多く、全ての文化に人・文化に公平な権利を求めるためフェミニズムを標榜するが、これはイスラム法と真っ向から対立している。信教の自由と男女同権という基本的人権どうしが矛盾を起こし、両立できなくなっているのである。これは根幹的な問題であり、これをきれいに解決できない限り、多文化共生主義は軋轢と対立を生むだけに終わるだろう。

歴史は繰り返す

 多文化共生を求める人は「少数民族を認めよ」という主張を繰り返してきたが、この主張は民族意識から久しく遠ざかっていた人たちに、「自らは多数派民族だ」という意識を生みだすこととなった。少数民族擁護のために「少数民族はキミたちと違うアイデンティティを持っておりグループとして区別してもらわねば困る」と主張したことで、差別を忘れて個性しか持たなかった人々の心に、再び民族の線を引いて民族主義的な分断をもたらしたのである。「少数民族を守れ」という言動は、「民族」という区分けを再び強化するものであり、明らかに民族主義的、右翼的行動である。結果として「左翼の自意識を持ちつつ強力な民族主義右翼としての言動をとる」という自己矛盾に陥る。

 日本においてこのような自己矛盾が起きているのは韓国との関係である。韓国は(左派である)金大中政権が対北朝鮮宥和政策を実行するにあたり、北朝鮮と宥和する理由として同一民族であることを掲げ、民族主義路線を打ち出した。民族主義は「やってはいけないこと」「悪だ」と否定して来た日本から見れば、この民族主義はかなり異様なものに映る。では、ここで日本人が「韓国は国家的に民族主義をやっている悪い国だ」と言ったらどうなるだろうか?民族主義を否定した発言自体が民族主義的であるという解決不能な自己矛盾に陥るのである。

 実は、左派にとっては民族色を等しく弾圧するという選択肢もありうる。(漢民族を除く)中国の路線が典型的であるし、フランスの非宗教路線もそれに近いものであろう。ただし、それは自由とは反するものであり、これをよしとするかはまた考えるべきところであろう。

私の考え方

 さて、ここまで書くと私があたかも外国人嫌悪であるかのように見えるが、それは違う。韓国や中国を含めて外国人の知人は少なくないし、新興宗教の信者の知り合いもいる。一緒に酒を飲みに行ったりもする。居住区域はもともと外国人の比率が高く英語もフランス語も中国語も聞こえてくるような場所である。私の応援しているプロスポーツチームには外国人も外国系日本人もいるし、みんな応援している。

 ただ、こういうことは、本人が自然と進める範囲で進むのがちょうどよい、と考えている。多文化共生は別にいいことだと思うが、わざわざ目標に掲げて推進するようなことではないと思うのである。無理に推進して上記のような軋轢を生むくらいだったら、適当に距離を置いて仲良くしたほうがいい。

 私個人はおそらく「保守的なリベラル」か「リベラルな保守派」という傾向を持っていて、極端に右翼的な「日本は世界一だの日本人の純血を守れだの」、「日本は外国人に滅ぼされる」だのといった意見には全く与するつもりはないし、そのような外国人嫌悪(xenophobia)への反論として「新興国によって貧しくなった論は誤りである」だの「日本は米国債を買わされている?」だのといったものを書いている。

 異文化の人とも仲良くしたい私であるから、かえって、「多文化共生」を推進すべきものと見なす人々には、「それって実際は外国人嫌悪を煽ってるよ」と言いたくもなる、とご理解いただければ幸いです。

Last modified:2011/08/05 18:14:54
Keyword(s):[政治]
References:

*1 Tony Barber Immigration: Tensions unveiled Finantial Times, November 15 2010

*2 オランダ新政権、極右の要求反映 ブルカ禁止などで合意

*3 スウェーデン総選挙で与党が勝利、極右が初議席

*4 Merkel says German multicultural society has failed

*5 ザラツィン論争の教訓

*6 宮本太郎 「新しい右翼と福祉ショービニズム-北欧福祉国家の揺らぎ-」 社会政策学会 第106回大会, や、雑誌「オルタ」2009年7・8月号の「特集 北欧神話?―グローバリゼーションと福祉国家」など

*7 今では「民族自決」という語は右翼的な印象を与える語だが、もともと第一次世帯大戦後やアフリカ独立に際して、帝国からの(植民地の)独立の理念として用いられた左翼的文脈を持つ語である。

*8 もっともアメリカが移民の国だからという理由はあるが

*9 読売の記事 学校教師のマティアス・ビュンシュさん(52)はザラツィン氏の主張に100%賛成だという。「子だくさんの移民家族が手当をたくさん受け取っている。ドイツ人は失業が怖くて子どもを 持てない。こんな現状が続けばドイツは終わりだ」 同書発売直後の世論調査によると、「独社会に同化する意思がない移民には、社会福祉を減らすべきか」との問いに賛成が64%で、反対は31%。「移民はドイツ人にとって有益ではなく負担か」には賛成48%、反対36%という結果が出た。

*10 【外国人参政権 欧米の実相】(1)教師が学校閉鎖を求めた 産経新聞

*11 ウィルダース氏、移民のコストは最低でも年間60億ユーロ

*12 ただし、言葉や文化の違いが労働市場で彼らを貶めることで軽犯罪や労働不参加を引き起こしている面もあろうから、鶏が先か卵が先かという問題もあろうとの指摘はある。サルコジやザラツィンの「同化政策」は言語や教育の壁を取り払うので、この指摘に対する一つの回答ではある。

*13 さらに加えれば、経済的な格差を埋めるために「同化政策」を強制するのは「文化を失わせる圧力ではないのか」という指摘も当然ある。しかし、日本は文明開化のころに政治的・経済的立場を追い求めて自ら西欧文明を受け入れ、体系的に訳語を作って日本語を守った経緯もあり、結局のところ自文化を守りつつ経済の利も追い求めるなら、最低限翻訳による自言語の補強程度のコストは支払わなければならないように思われる。

*14 As millions of decent families face benefits cuts, one woman who's never worked in her life is investing hers... in a £4,500 boob job Daily Mail 7th October 2010

*15 このクラスの発生は、失業に対するケアがワークフェアではなく給付中心だったことによる勤労意欲の低下に伴うと考えられている。すでに3代にわたって働いたことのない家族が存在するなど、勤労意欲は低い。勤労者は自国人・移民の区別なく福祉頼みの不労階級に敵意を持っているが、一方で福祉頼みの自国人はまた外国人排除的でもある。これはネオナチに近い傾向を持っている場合もあれば、福祉リソースを食うライバルとして見ている場合もある。

*16 団塊世代サラリーマンは数が多く集票力は非常に強力であったため、実のところ政策の大半はこの層に引っ張られてきた傾向がある。小泉政策の多くはリストラや倒産を止めろという世論から出てきたものが多く、「高所得者減税」と呼ばれたものも、税率の下がった所得帯を見れば、年収800万あたりが最も優遇されておりサラリーマン減税の色が濃い。

*17 まったく関係ないが、筆者は「国益」という言葉は、定義が不明瞭で乱用されやすいと見ており、その使用を嫌っている。私個人は「個人どうしの便宜を図るための連合体が国であるという立場であり、国のために個人の利益を損なうことを推奨するような意味で「国益」という言葉を使うことは特に毛嫌いしている。

*18 Multicultural mistakes The Telegraph 18 Oct 2010

*19 私個人としてはここに列挙した団体に他意はなく、あくまで社会に溶け込んでいるものの、軋轢が多いケースとして例示しました。中立的な例示であることを示すために、意図的に互いに敵対する団体同士も並べております。不愉快に感じられた方がおられましたら、この場でお詫びいたします。

*20 繰り返しになるが、自分は国は「法を共有する市民の集まり」であって個人が先、国は便宜上の産物だと考えている。国家が先で国民が後と言う意見には微塵も賛同しない。