Microsoftという企業の「本質」

基本的に顧客の提案に従って動く企業であると言える。

競争力の源泉

初期の「要求されたパクり」

 Microsoftはよく「パクりで市場を食った企業」であるように言われるが、一面では事実であり、また別の一面では事実ではない。

 当時IBMの下請け的ポジションにいたMicrosoftは、IBM/PCで動作するCP/MのようなOSを依頼された(当時のIBMとってPCはおもちゃであり内製するものではなかった)。当時ゲイツはMirosoftはBASIC屋であると自認していたので、OSを開発する気は毛頭なく、デジタルリサーチ社にCP/Mの移植を依頼している。この依頼が断られてしまったため、CP/Mを模倣した86-DOSをIBMのアドバイスのもとに買い取って売り出していくことになる。

 「WindowsはMacのパクり」というのはよく言われるところだが、全くの事実である。まだMS-DOSを売っていたころ、Microsoftには「IBM/PCでもMacのようなGUIがほしい」というリクエストが来るようになっていた。ゲイツは例によって自社開発に自信を持っていなかったため、1985年6月25日にAppleに対してMacOSをIBM-PC用に移植ないしライセンスするよう依頼している。ところがAppleは自社をハードウェア屋として自認していた(それは今も同じである)ので、この申し出を断った。しかして、ゲイツは泣く泣く自社開発をせざるを得ない状況に追い込まれるのである。

 以上のように、もっとも中心的な2製品の両方が、「パクってよと依頼され」「本家に移植をお願いし」「断られて自社開発」というルートをたどっているのである。筋は通してきているのであり、その点で卑怯者呼ばわりされるのは心外だろう。

パクりに際して行われるさりげない近代化

 Microsoftは、パクりとなじられることがあるとは言え、パクりの際にパクり元のレガシー部分を切り捨ててうまく近代化し、時代の最先端に立っていることがしばしばある。これは、Microsoftがしばしば後発者でありながら先行者利益を覆して追いついてしまう競争力の源泉の一つになっている。

 その一つの例として、Excelを挙げよう。ExcelそのものはVisiCalcに始まる表計算の一つの系譜の中にあるものにすぎないが、GUIを本格的に使用した初めての表計算ソフトであり、同時にMac OSのGUIを大いに使用した初期の先駆的アプリケーションでもあった。Microsoft自身は発明者ではないが、しかし表計算を最新技術の土台に乗せ換える先駆的業績を果たしたことで、後にMicrosoft OfficeがGUI時代のオフィスアプリケーションでシェアを拡大する地力を手に入れることになる。

 Microsoftは、顧客から見える表側部分では保守的で顧客のリクエストに従う傾向にあるが、表に見えない裏方部分では遠慮なく最新技術を投入してくることがある。その端的な例として、Internet ExplorerにおけるXMLHttpRequestの開発を例に挙げたい。この技術はブラウザでページを見ながらページを移動することなく追加データを表示するのに必要な技術で、この技術を用いた代表的なサービスにGoogle Mapがある。Googleはその当時極めて先進的なイメージを出していたが、そのイメージは実はMicrosoftの先進的技術基盤の上に成り立っていたわけである。

 パクリが多いが、パクる際に最新技術に乗せ換えてしまう。これはどこかで聞いたことがある人もいるだろう。これは、日本企業のかつての得意技でもあるからである(一部では「魔改造」という言い方で表現されている)。2006年ころからMicrosoftと日本企業がともに先進的イメージの輝きを失い始めるのだが、これは両者とも同じ特性を有するがゆえに、同じ環境に置かれれば同じような状況に陥るためだと考えられる。

実装のデファクト基準にふさわしい品質

 Microsoftは、誰でもある程度実装できるような技術のパクリが多いと同時に、パクる際にそれを近代化する。加えて大きなシェアを持っていることもあり、それらの性質が複合して、結果的にMicrosoft製品の技術が市場で生き残ることのできる最低限の品質を指し示す基準となり、Microsoftより劣る実装の製品は競争の土俵に乗ることができないという事態に陥ることが多々見られる。

 最新の機械で動くGUIを標準搭載できるOSならば、Linuxを始めHaiku/BeOS、AmigaOS4.0など様々なものがある。それらのOSはいくつかの面でWindowsを上回る先進性を持つが、しかしWindowsが定める様々な最低ライン(ドライバ管理の合理性や見た目の良さ、軽さ、アプリケーションの作りやすさ)を満たすことができず、市場競争力を持っていない。OfficeにおけるLibreOffice/OpenOffice陣営も然りだろう。

 結局、既存のソフトウェアにおいては、最初の一撃でMicrosoftを超える先進性を見せない限り、商品が売れず開発資金を集められずに沈んでしまうという関係にある。逆にいえば、生えてくるライバルの芽を常に摘み取ることのできる技術力があるためにMicrosoftはシェアを維持ているのだとも言える。

 ブラウザ市場は例外であり、独禁法回避と互換性問題からIE6以降の刷新が遅れたために他のブラウザの入る余地が大きくなったと言える。ブラウザ市場には広告収入(検索窓から特定の検索サイトに誘導するインセンティブを含む)という別の収入減があったこともこれを後押ししたと考えられる。

巨大化した現在の悩み

もはや顧客が一様ではない

 顧客の要望を聞くというスタイルは、顧客の数が多くなってくると、それぞれ違うことを要求する顧客たちの様々な要望を同時に捌くことが難しくなり、スタイルとして破綻してきてしまう。2006年前後におけるMicrosoftの技術に対する悪評はそのあたりに原因があるように思われる。

 Windows Vistaの開発に当たっては、当時XPがセキュリティ問題を抱えていたこともあり、当時伸びていたWindows Serverの顧客から得たセキュリティ向上に関する要望を基盤として新しい仕組みを整えていった。この措置によりVistaは確実に堅牢になったのだが、その代償として、セキュリティの甘さに依存したソフトウェア・ハードウェアの互換性問題が生じ、Vistaの悪評の原因となった。また様々なツールを安全性重視で速度の向上を後回しにしたため、発売当初は重いOSであるとの悪評が付きまとうことになった(筆者は業務上ベータ版から評価使用していたが、その時は初期製品版に輪をかけて重かった)。これらの問題は、セキュリティを重視する多数派のユーザと、セキュリティの薄さがもたらす利便性に(図らずも)依存していたユーザに同時対応することが難しかったために起きたものと言える。

 Vistaでは、見た目の改善という顧客の要望を、裏方であるウィンドウマネージャにGPU対応という先進技術の投入を行うことで応えようと試みたが、その際には「古い機械を使用しているユーザを切り捨てている」という批判が起こった。これも、最新機能を好む見た目を重視する顧客と、古い機械を持つ顧客との同時対応の難しさの結果と言えよう。

組織内の統治の不統一性

 右手のやっていることと左手のやっていることが統一がとれていないケースがよく見られるようになっている。その最たる部分はウェブサービス部門だろう

顧客の使用感の競争力

 組織内の統治の不統一性は、顧客の使用感(ユーザエクスペリエンス)が新しい競争力の源泉として浮上したという環境の変化に対応できない結果をもたらした。

 Windows本体でもそのようなXPの時代からシャドウコピーや復元ポイントという、地味に重要で使いやすいバックアップ作成機能が存在する。この機能と同様の機能が後にMac OS Xに実装されるのだが、その際Appleはその機能の存在を前面に打ち出し、MacOSXの新バージョンの目玉機能の一つに据えた。これはかなり賢明な判断と言えよう。ライバル製品にすでに搭載されている機能を実装しながら、あたかも自社が先進的で独創的であるかのようにふるまうのはこれもAppleの体質でありどうかと思うところはあるが、裏方を表に引っ張り出すと便利であるというのもまた事実であろう。

顧客ベースの経営とは

 Microsoftは顧客のリクエストに従った経営と言う意味で、かなり日本企業的なのである。ただ、本人も知らず知らずのうちにリクエストの先にあった巨大市場への階段を背中を押される形で登っていただけなのである。初期の渋りぶりを見る限り、その先に大企業への道があるとは信じていなかっただろう。

(2011/2/11)