基本的人権は民族の権利を否定する

 私はtwitterで繰り返して書いている通り、古典的な人権主義者です。すなわち、国家がない《万人の万人に対する闘争》の状態においては全ての個人は等しく自己決定をすることができ、各自が自己決定権に基づき交渉と契約を行った結果として暴力の集中を手段として殺人や窃盗を否定する政体を構成する、という社会契約論の立場を取ります。社会契約論の大前提が自然状態における自己決定を認めることにありますので、個人の自由権は共同体規定(constitution; 憲法)より上位の自然権であって、憲法における個人の自由の尊重は自然権を再確認したに過ぎない、という見方をしています。個人の自己決定権を人権の中核に据える見方は、フランス革命に至るまでの自由主義への道のりや、世界人権宣言において自由権が前文、第一条、第二条と早い段階で規定されていることからも、教科書的な見解と理解しています。

http://blog.livedoor.jp/nihonkokukenpou/archives/51802434.html

 立法者拘束は民主主義「私はあなたを縛る法律を作るが私は縛られない」といった王権的・人治的な政治の在り方を否定するために必要なことであり、かつ自由で合理的で対等な立場の個人が契約を結ぶならばそのような片利的契約は結ばないだろうという考えに基づくものです。

どの政体と社会契約を結ぶかは個人の自由だが、自由な個人どうしの契約ならば片利的契約を結ぶことは考えにくく、ゆえに立法者拘束(≒唯一国籍または二重国籍時の二重法律拘束)を求める、

世界人権宣言の第十五条《国籍を変更する権利を否認されることはない》

何人も、結社に属することを強制されない。

Last modified:2015/09/05 23:08:11
Keyword(s):[HIDDEN]
References: