水資源を適切に把握する

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要約:水資源は一般的に降水量などから得られる量によって計測されることが多いが、集めるコストが非常に高いため、濃度を調整することが出来ない。このため、単に量だけで表現された数字だけでは、濃度に由来する有用性の違いを評価できない。また水は生産・輸送コストが高いので、水ビジネスの基本は水利権と節水・再利用技術に関するものであり、輸送が成立するのは飲料水のみであると考えてよい。仮想水概念は国際貿易における水資源利用の比較優位の記述なので、搾取云々といったことはあまり考えなくてよい。環境問題に関して統制が必要なら、相手国への援助だけでなく水ストレス関税といった「鞭」にあたる道具も併用すべきである。

 21世紀は水の時代とも言われる。世界的人口爆発により、地域によっては水資源の人口扶養能力を超え始めたからである。このような状況下で水ビジネスが儲かるかもしれないとさえ言われるが、実際には水は商品としての性質はきわめて特殊であり、「資源量」「仮想水」といったものをただ額面どおりに受け取るのはよろしくない。本稿は、下記基礎資料を叩き台にして、水資源問題についていくつかの誤解を指摘し、正確に把握することを目標とする。

有効な「水資源」を見分ける

 水資源量というのは、単に降水総量を積算しただけで語ることはできない。国土交通省の資料で「一人当たり年降水総量」と「一人当たり水資源量」が分けて書いてあるが、後者は年間降水量から年間蒸発量を引いたもので、基本的にはこちらの水資源量のほうが有効な値として使われる。サウジアラビアは一人当たり年間降水量は日本より多いが、すぐに蒸発してしまうため、まともに使える水資源量は少ない。

 「一人当たり水資源量」もそのまま水の豊富さを反映している訳ではない。水をどれだけ有効利用できるかには水の密度も重要であり、「薄く広くある水」は使い勝手が悪い。 例えば、生活用水・工業用水・灌漑用水に使うには河川を流れる我々が「水」として認識する固まった量の液体である必要がある。農業で利用するにしても、それぞれの植生には最適の降水量があり、コメなら年間降水量が1200mmは欲しいし、小麦なら500mm、それ以下なら草原なら放牧くらいしかできない。「一人当たり水資源量」を額面通りの量としてとってはいけない理由はこれで、例えば年間降水量が500mmの地域で住人を半減させたからといって、土地の半分が完全に乾燥して残りの土地に水が回ることなく、従って米が育つわけではないし、工業用水が安価に手に入るわけでもない。

 オーストラリアの一人当たり水資源量は日本の5倍、残余利用可能水資源量も圧倒的に多く、この数字だけ見ると水が豊富そうに見える。しかし、ここ数年は旱魃で農耕地・放牧地が放棄される事例が多発し*1、食料価格高騰の引き金を引いている。生活用水の不足も深刻で、どの都市のホテルにも常時「節水にご協力ください」の札がかかっており、下水の再処理も推進されている*2。水資源量は豊富だが、密度が薄いため用途が小麦生産や放牧に限られており、しかも水を集めることは容易ではないから、水資源が余っていても旱魃に対処できないのである。

 以上のように、一人当たり水資源量さえ直感的な「水の豊富さ」とは一致しない。直感的な「水の豊富さ」を決めているのは、水の分布密度、一種の分布エントロピー的な要素である。汎用性のある、ダムにたまったような見える大きさの「水」(その筋の用語で言うblue water)の量の方が重要であり、そのような「水」を得られるかどうかは、面積あたり降水量が多く水を集めるコストが低いことが重要となる。年間降水量1500mm超という日本の降水量はその点で有利であり、平均500mmに満たないオーストラリアは不利である。ただし、オーストラリアは密度は低くともその広さによって、天水(専門用語でgreen water)に多くを頼った小麦や粗放的牧畜の生産力は大きい。

 水は単に量を足して積み上げられる存在ではなく、どうしても密度が問題になる。密度を考慮に入れずして、直感的・経済的実態を定量的に把握することはできない。

水輸送はコストをペイできない

 一般的に言うと、飲料水を除けば、水は運河・水道以外の方法で輸送するほどの値段はつかない。特に農業用水はまずペイすることはない。農産物の生産にどれだけ水が必要かをざっと計算すると、天水でコメ1tに水1000t、麦1tに水500tが必要となる勘定になる*3。日本で灌漑により生産すると、各生産物1tに対しムギで水2000t、コメで3600t、鶏肉で4500t、牛肉で20700t、となっている*4。当然ながら、水そのものを輸送するよりは、水資源を最終産物=仮想水という形に変換して輸送するほうがはるかに合理的だろう。

 基本的には水紛争というのは、コストの見合う汎用性のあるblue waterの取り合いであり、言い換えると水利権[○すいり-けん; ×みず-りけん]の争いである。今のところ成立している水ビジネスは、運河や水道敷設権が中心で、次に海水淡水化技術などに関するもの、および風味を追求する上でのミネラルウォーターの販売のみである。

 もう一つの観点は、仮想水、すなわち水資源投入は、それを使って生産が行われなければ経済的意味はないという点である。この点は重要で、仮想水輸入国は水を収奪しているわけではなく、仮想水輸入を止めようとすれば、国際分業による貿易が停止し、単にその国に向かう日本や世界各国からの対価である物資が流通しなくなるだけである。そもそも、仮想水の概念はこのような国際分業の様子を記述する上で作られた道具なので、当然と言えば当然である。特に、集めた水 blue water ではなく天水 green water を利用した生産の場合、その水資源を他の生産に転用できる可能性はかなり低いので、この点について「水資源を搾取して申し訳ない」などという発想はお門違いである。

 このような考慮をする必要があるとすれば、過剰な水利用によって環境破壊が起きているとか、世界全体の農業生産力が限界に達することで地球規模の水不足が発生して食料価格が高騰する、というような場合だろう。この点についても必ずしも対象国に補償金を払うという発想が正しい訳ではない。このような補助金のつぎ込みは、わざと環境を破壊して補助金をかすめ取るというよう歪みを生み出すこともあるからである*5。水フッテージや炭素フッテージのように、いわば環境を言い訳にした関税をかけるという選択肢のほうが現実的で、実際の効果は高いだろう。また先進国にとってはやりやすいはずである。

仮想水は水不足を意味するか

 日本は仮想水を大量に輸入しているために本当は「水少国」だ、というような意見もある。日本が輸入している仮想水は日本での灌漑生産に置き換えた場合で640億立方メートルで、これは渇水年残余水資源量の30%、平均残余水資源量の18%に相当する。これはダムをひたすら作ればカバー可能な範囲におさまるではあろう。

 また、「日本は急流が多くて水がすぐに流れてしまうため、実質的に使える水が少ない」と言われる。これはある意味ではその通りで、水が海に流れるまでの間に溜めて農業用に使うことができない。そもそも、灌漑用水は土地さえあればダムやため池の造成である程度なんとかなる範囲にはあるのだが、造成用地も使う農地もないというのが現状である。言い換えると、水はあっても使う土地がないというのが日本にとっての根本的問題であって、土地のボトルネックが解消しない限りは水のボトルネックは問題にならないことを意味する*6。もっとも、食料生産という目標を中心に据えれば、土地が足りないことは大きな問題である。これが日本の水問題の現状である。

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Last modified:2009/11/03 20:27:34
Keyword(s):[資源]
References:[FrontPage] [資源の価値とは何か]

*1 川村謙一 オーストラリアにおける干ばつの状況について 平成18年11月30日 在オーストラリア日本国大使館

*2 SEQ WILL HAVE PURIFIED RECYCLED WATER BUT NO VOTE: PREMIER 豪大臣声明

*3 穀物の10アール単収は、コメ・小麦・大麦等は0.5t程度である。最低限必要な天水をコメ年間1000mm、ムギ500mmとして、中緯度地域における栽培時間を半年とおく。当該環境で半年で10アールに降る雨は稲田500t、麦畑250トンとなる。

*4 元資料の概説にある「一般には輸入国での水消費原単位に基くvirtual waterの算定値よりも小さく、水に関する比較優位の法則が成り立っていることが多い」ことには注意が必要

*5 二酸化炭素排出権取引の場合、途上国優遇システムによって、エネルギー効率の低い途上国の開発を促進することで、純粋に二酸化炭素の排出という観点ではこの取引により排出量が増加する可能性はかなりある。

*6 この点は東大の資料でも同じことが指摘されている。