失われた10年への対策
全面的な改変予定があるので、予備稿ないし過去ログとしてお読みください。
失われた10年の経路図 - 失われた10年への対策 - 2008年という時代の境目 - 筆者が前提とする経済の実体
失われた10年の間に、それを抜け出すためのさまざまな手段が用いられてきたが、これを最終的に決着させたのは小泉時代である。現在では毀誉褒貶あるものの、彼の政策はバブルの後遺症を終わらせる荒療治であったことは否定できない。これを以下に記述する。
金融不況に対する対策
バブル崩壊による金融機能の停止は「必要な人のところに金が回らない」という結果をもたらし、日本の設備投資を減少させ、雇用情勢を悪化させ、それが競争力を減退させ更なる不況を呼ぶという悪循環に陥っていた。この悪循環を断ち切るために、銀行の金融機能を回復させるか、さもなくば既存の銀行以外に金融機能を与える必要があった。このために行われたのが、金融ビッグバンや小泉時代の金融改革である。
金融ビッグバン
金融ビッグバンは、橋本内閣が1996年から開始したもので、小泉時代に拡大された金融自由化措置のことである。これ以前は、国が指揮官となってその実行を金融機関が担う護送船団方式によって金融が運用されてきた。これを改め、金融機関の規制を撤廃して自由に活動ができるようにした。バブル崩壊の影響で金融機関が各所で機能を停止していたが、新規参入を促したことで経営力のある金融機関が貸し渋りをする銀行等に成り代わって投資を行うことが可能になった。また、高度成長期に見られた「追いつけ追い越せ」という目標の分かりやすい時代と異なり、世界の最先端に立ったことで国が目標を定める方式が通用しなくなったこともこの改革を促した。
銀行への公的資金注入とメガバンク誕生
金融の機能停止は不良債権に基づくものであり、これを除去することが求められた。このための法律が金融機能の早期健全化のための緊急措置に関する法律と金融機能の再生のための緊急措置に関する法律である。必要な投資に確実に金が回る体制を作るため、機能停止に陥っていた金融機関に強制的に不良債権を処理するよう求めた。これが銀行への公的資金注入である。公的資金注入は銀行経営者の経営責任にもつながるものであった。銀行側は自己改善努力として銀行の合併を行い、重複機能を解消しコスト削減を行い、また各営業能力の補完や営業能力と資本の補完を行って経営力を強化した。これがメガバンク誕生である。この体制再構築(リストラクチャリング)の過程で解雇が行われた。
産業再生機構
必要な人のところに金が回らない状況を改善するため、「有用な経営資源を有しながら過大な債務を負っている事業者に対し(略)当該事業者に対して金融機関等が有する債権の買取り等を通じてその事業の再生を支援する」(株式会社産業再生機構法第一条)公的機関が設置された。良質の企業の不良債権を解消して回ったため、4年間の活動で国民負担を発生させず41社の経営を整理継続した。
外資の導入
機能を停止した銀行や信組に成り代わり、外国からの資本によって資金を必要とする企業に資本を融通するという代替策も実行された。具体的には、株式市場における情報の透明度を上げ、市場の規制レベルを外国に近づけることが行われた。不良債権解消を目指す資本関係の把握の必要を含めて情報の透明度を上げる過程で、株式持ち合いによる不透明な資本依存関係を解消することが目指された。また資本依存関係を単純化する中で持株会社が解禁されこれに整理する動きが見られた。
この過程で「日本を外国に売り渡そうとしている」という意見がかなり多数見られたが、真正面からこれを補う方策としては、増税によって公的に不良債権を解消するか、郵便局の信用監査機能を銀行並みにする以外にはなかったのも実情である。
郵政民営化
機能を停止した銀行や信組に成り代わり、郵便局の資金を用いて民間への投資を行おうと郵政民営化に伴う郵便貯金の民間投入が企画された。郵便貯金は財政投融資という形で公共投資の原資を収集する機能を有していたが、バブル崩壊の頃には郵便局の巨大な資金収集能力を必要とする公共投資案件はほぼなくなっており、むしろ公共投資削減の方が叫ばれる状況となっていた。この点を考慮すれば、これを銀行に代わって民間投資の原資とすることは理にかなった考え方であり、その資金量はメガバンクさえも上回って機能を果たすには十分なものであった。 ただし実際に民間投資に乗り出すことができる体制が整ったころ(2007)には、他の方策によって銀行の経営能力は実質的に回復していたため、民間への空回りとなり、むしろ市場の資金過剰が議論される段階となっていた。
金融改革の余波
日本企業のための金融機能の改善強化策は、結果として世界の中における日本の金融機能の相対的強化をもたらした。金融機関も積極的に金融工学などの新技術を導入し、第二次産業の機能低下とも相まって国内的にも金融業の機能が相対的に高まった。この傾向は長期的なトレンドでもあるものの、国内総生産が落ち込む中で所得黒字が貿易黒字を上回ったのは投資立国への変化の象徴的な現象であった。国際収支は過去30年間にわたり定常波を描いていたが、貿易に加えて投資による収入が急増したことによる極端な上昇成分が加わったのは特徴的である図。ただし、所得収支の増加は1980年代の貿易摩擦から海外への生産地移転が行われたことも影響しており、全体としてはオフショアによる製造業の空洞化を象徴する現象でもある。
残された課題
日本の金融改革はおおむね成功裏に終わり、現在は金融機能は回復していると見ることができる。この過程で強制的な不良債権の解消などがあり、多くの会社が整理された。ここの点において「痛みを伴う構造改革」というキャッチフレーズは正しいものであり、実際に実現して日本の生産力の回復に貢献したといえる。しかし、金融機能の回復は成功裏に終わったものの、それ以外の社会構造に由来する問題の対策は全く打てていないのが実情である。
その一つが少子高齢化による影響への対策である。増加する社会保障費に対する問題は後手後手に回っており、典型的に表れているのは後期高齢者医療制度のような比較的対症療法的な対策しかとれていないこと、およびその制度改革でさえ国民自身がその必要性を理解していない(あるいは理解しようとしていない)という実情である。また、人口ピラミッドが若者多数であるという前提の年功序列というシステムの改革の失敗は若年貧困層の増加という形で明白化した。
また、新興国との競合回避はいまだに十分とは言えない。金融改革は旧来の産業の保守という意味では成功したが、新規産業の創出のための金融機能を果たしたかといえばそうとも言えない。製造業の保守だけでは日本の競争力は相対的に没落するしかないので、新興国と競合しない新産業の創出が必要であるにも関わらずである。後述する一円株式会社制度の導入や各種ベンチャー企業支援システムは存在するものの、それは不十分で、現在でも特に資金以外の面での経営資本の供給能力は劣っているといえる。
上記の2点の経過と実情を以下に説明する。
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References:[FrontPage] [日本型雇用を誰が殺したのか(中)] [失われた10年の経路図] [2008年という時代の境目]